①からの続き
小天守の中
姫路城の模型の説明
模型
鬼瓦の説明
鬼瓦
姫路城の全体図
結構、大きな町
小天守を降り、中庭から
さらに降りると
石垣には、古墳時代の石棺とか、ウス石とかいろんなものが使われているらしい
この横の長方形の石?
お菊井戸があるよう
お菊井戸
中を覗くと15mくらいで、水は無いような?
係りの人に聞くと、最近作られたもので、実存のものではないとの事

ただ、家老屋敷があった模様。
また、姫路駅の近くにお菊神社があり、お菊さんは毎日お参りしていたと、神主さんから聞いたと。
是非、行ってみて下さいと言われたが、5時までなので、月末にもう一度見るので、その時に行くことに。
その方、平成中村座の昼の部はみたけど、夜は見てないらしい。
天守物語の素晴らしさを説明すると、もうチケットはソールドアウトだけど、毎日、立ち見が19枚ほど出るので頑張るらしい



さて、井戸を過ぎると、建物があり、鯱が三体
大天守の鯱
明治のもの、細工が細かい
頭には、職工の名前が彫られていた
どうだいと語りかけられたような
昭和の大修理の際に、大天守の二重の屋根に1687年の銘のある小型の鯱があり、最も古いと考えられ再現された。
銘はペンキで後から書かれたらしい。
私は、明治の鯱が好きですが、仕方ないですね
平成もほぼ昭和と同じ
さて、進んで行くと、扇の勾配の説明
上が直角に近い
黒田菅兵衛の石垣
その横には、江戸時代から明治に移る時代に最後の藩主となった、酒井忠邦公を祀ってあった。
短い期間であったが、名君で地元からは慕われて、東京にあった墓所を移したと、立て看板に書かれていた。
また、毎年、ゆかりの行事が行われている模様。
そういう風習、風土がいいなあと思いました。
姫路城の歴史
姫路城を後にして、幟がはためいていた
姫路城から、少し歩くと、石垣
遠くに姫路城
反対側にも石垣が続き、姫路が城下町であることを再認識
江戸時代、大名行列があったメインストリートを後に
お昼と晩御飯を兼ねて、お寿司屋さんへ行くつもりが、
行こうと思ったところ、ネタ切れで終了、他も休み
仕方なく、駅前の韓国料理屋のサムゲタンにした
人通りが少なく、お店も少ない姫路。
地方は、疲弊しているのかもしれない。
平成中村座の幟や看板がいたるところにあり、姫路の街が大歓迎🙌
一か月間、賑わいが続く
お土産
玉椿は黄身餡で美味しい
お菊せんべいは9枚入り
終わり