4月12日(金)放送の惠ちゃん「無法松の一生」。
聴けば聴くほど、見れば見るほど、心が打ち震えました。
一体、山内惠介という歌手は・・・言葉が見つからない。
昨年の五大都市コンサートで披露されましたが、聴いたとたん、何かが違う。
太鼓と三味線という、シチュエーションのせいか?。
なぜか、昭和初期の時代を鮮烈に感じました。
惠ちゃんの歌は、情景が浮かびますが、時代がこのように浮き上がって感じ
た事に驚きました。
で、コンサートのDVDと比べてみると、声はちょっとドスが効いていました。
そして、一音一音が歌詞をかみしめるように、そしてその歌詞の一文字一文字
が、万華鏡の声を駆使し、より繊細な表現へと。
ドスの効いた声、そして柔らかな声では情景が浮き立ち、まるで、映画一本分
を見たような印象さえ受けました。
特に、映像を見ないで、声だけを聴くとよくわかりました。
何度か視聴していた時、急に無法松という男の生きざまに泣けてきました。
それは、古き良き時代の昭和の不器用な男の生きざまではありますが、まさに
日本男子、現代にも通じる心意気と切なさを感じたからです。
この曲は、男らしい曲ではなく、本当は切ない曲ではないかとさえ思えました。
番組名は「徳光和夫の名曲にっぽん」
惠ちゃんと三味線と太鼓、そしてセット、素晴らしい企画は、さすがTV。
玄海の「かい」がちょっとドスが効いて、荒海と無法松の荒くれさを感じました。
無法松を語ります
語ります
荒くれ者
男一代無法松
情景がかわり、遥かに聴こえる太鼓の音に耳を優しく澄ませます。
「あの音は~」の最後の切る音が後に続く物語の序章のよう。
それは櫓の上で、たたく太鼓の音。
そして、情景を、彩り豊かに表現。
赤い灯が、色っぽい。
夏祭りの風景が鮮やかに見えます。
「若い衆」で、カメラ目線で挑発するよう。
挑発された若い衆は、音頭を取ります。
「玄海灘」 の玄海と灘の間が、荒ぶる玄海灘に重なります。
玄海灘の風を受け、ばちが右左へと。
無法松が、
無法松が、あばれうち。
無法松の悲恋を慰めるように優しく語ります。
語ります。
未練は玄界灘に捨て
乱れ打ちの無法松が切ない。
最後は男らしく
壮大な物語りの幕が下りました。
何もいうまい。