オールドノリタケは、製造日でいうと、1885年(明治18年)~1945年の60年間。

1885~1903年を前期、1904~1921年を中期、1922~1945年を後期、

と20年間隔で分類呼称されている。

(後期はおもに、日本国内用)


海外向け(米国、英国むけ)が前期から中期にかけて輸出され、裏印から特定できる。

そして、ノリタケ以外でも当時、外貨を稼ぐため、色々な会社が制作していたが、会社

名が特定できないが、様々な裏印が存在し、オールドニッポンと呼称されている。


その外国への輸出陶器は、明治から大正期にかけて約40年間に制作されたもので、

外人が好みそうな金を盛り上げたりジュエルと言って、宝石のように色石を埋め込んだ

り、華やかなものも多い。

しかし、華やかながら、日本人の美意識からか下品にならず、繊細で品が良い。

ペイントは手書きで、英国国花の薔薇をあしらったものが多い。

明治の人が当時は見たこともない薔薇をどんな思いで描いたのか?、その努力を想像

してみるのも楽しい。


ところで、世界の輸出用磁器の歴史は、1602年に設立されたオランダ東インド会社

によって、初めにヨーロッパに運ばれたのは、中国製の磁器。(明朝後期)

日本の初輸出は、記録では、1650年(慶安3年)。

中国陶器が多く輸出されていたが、明朝から清朝への移行で、国情が不安定となり、

輸出が途絶えた。

この17世紀から18世紀にかけて日本の磁器は金彩を加えた豪華絢爛たる染錦手

を生み出し、順調な歩みを見せる。

しかし、国政が安定した中国が輸出の中心となり、1757年の取引を最後にオランダ

東インド会社との取引は終焉。

(私貿易の形はあったよう)


中国の磁器の粉彩(沢山の色を使用)という技法に触発され、日本では柿右衛門様式

という技法が生まれ、それがヨーロッパに渡り、マイセンに引き継がれたと言われています。

職人さんの世界では、世界が繋がっているようです。



さて、いままで金ぴかのイメージが強く敬遠していたオールドノリタケ。

実際手にすると、華やかですが、派手ですぎず、当時の日本人の心意気を感じます。

私が収集した氷コップと同時代(明治~大正)でもあり、当時の技術水準の高さに

驚かされます。

断捨離しないといけないと思っていましたが、でも日々の生活の中で、やはり美しい

もの、好みのものに包まれるのは、生きる喜びでは・・・とも思います。


先日亡くなられた堺屋太一さん、今は欲望のない時代だと。

国民に欲望のない国は、亡びる・・とも。

あれが欲しい、これが欲しいと思うからこそ、人は頑張り、国が栄えると。

明治維新では、富国強兵で西洋に追い付け追い越せ、戦後は焼け跡からの高度成長。

そして、次に来るのは、面白いものを求める時代では・・・とも。。

それが、何かはまだわからないけれど、キーワードは「面白いもの」は間違いないかもびっくり!!


最近買った3点。


薔薇図蓋物(初期オールドニッポン) 裏印:城印(上:HAND PAINTED 下:NIPPON)

ピンクとグリーンの2ミリくらいの石を交互に配置・・・ジュエルと呼ばれる装飾方法。

装飾の金が盛り上がっている金盛技法です。

らくだ砂漠キャンドルスタンド(中期、オールドノリタケ) 裏印(マルキ印:英国向け)

化粧セット(トレイ、ハットピンホルダー、リングホルダー、パフ入れ等)の中の一つ。



鳥図マッチホルダー(オールドニッポン) 裏印(ビビ印)

スモークセット(トレイ、葉巻入れ等)の中の一つ。