5月22日(火)
ライブは3時からなので、ホテルのパンフレットにオホーツク流氷館というのを
見つけ、近くに博物館もあるので、そこへ行くことに。
観光は、あまり詳細は決めていなくて、行きあたりばったり、気の向くままです。
タクシーで10分ほどですが、山道です。
クリオネ、初めて見ました。マイナス15度の体験コーナーもありました。
厚手の防寒着を借りなかへ。
先ほどの女性タクシードライバーさんに、連絡し迎えに来てもらい、博物館へ。
実は郷土博物館と思っていたのは、博物館「網走監獄」でした。
オフの日、惠ちゃんが、行かれたところです。
昔の刑務所を移設し、博物館にしているのです。
その日のライブで、お土産物屋さんの店員さんのお話がありましたが、私達は
寄りませんでした、残念。
庁舎
北海道開拓の歴史と、展示コーナー。
明治時代、ロシア帝国の南下を防ぐ道路をつくるため、この刑務所が作られた。
当時の網走の一般人の人口は600人ほど。
明治政府誕生で、各地で反乱がおき、士族の思想犯や、政治犯を収監するためもある。
人数は、1300人ほどで、1年ほどの間に作る必要から寒冷の中の過酷な工事で
約6人に1人、200人ほどが亡くなった。
看守も数名亡くなり、墓は一緒に埋葬されている。
一緒に埋葬されているのは、網走刑務所だけとの事。
全然知りませんでしたが、国のために命をささげられたのですね。
合掌。
大きな講堂で、楽団の練習とかされたのかしら。
講堂の奥に、浄財箱が置いてあり、刑務所の書籍の購入代にされるとの事、わずかですが
友人と。
中央見張が真ん中にあり、放射状に独房が並んでいる
独房内部は天上高く、壁は木の互い違いで空気が入る仕掛け。
敷地内の「監獄食堂」で監獄ラーメンなるものを昼食に。
終了後、惠友さんと会い、喫茶店を探しましたがないので、全国チェーン店の居酒屋さんへ。
30分ほどで、帰られましたが、私達はそこで食事。
帰りに、お寿司屋さんを覗くと開いてました、残念。
網走では、美味しいお寿司を食べられずじまい、次回はリベンジするよ~。
翌日23日は前日の女性ドライバーさんに女満別空港まで。
20年前には43人だったドライバーが今は20人とか。
30分間、惠ちゃんのお話しをしたのは言うまでもありません。
来年は、行ってみたいと言われてました。
午後1時40分発、羽田経由、伊丹着5時5分
女満別空港、玄関取り忘れ。タクシードライバーさんと話しすぎて失念。
思い出は、永遠。
念願の道東、そして沢山の事を知ることができました。
勘違いが多すぎますが・・・(笑)
長々と、お読みいただきありがとうございました by 摩周湖マリモ&シマフクロウ
(追記)
大事なものを忘れてました。
女満別空港で買った生うに。
うにが大好きなので、塩ウニを探していました。
生ウニは札幌では6月に解禁とか言っていたので。
すると、場所によって解禁日が違うみたいで、正真正銘のこちら生うに。
カニも今が時期のようです。
オホーツクの流氷の下の沢山のプランクトンを食べているので美味しいようです。
カニも時期でないと、食べませんでした。
本当に知らないことばかり。
うに、濃厚なお味で一気食いしました。