昨日、感想を少しブログに書いた後、録音したものを何度か聴いていたら
もう、寝つけませんでした。
そして、今日のラジオ「山内惠介の歌の道標」を聴き終え、ジムまで自転車を
寒風の中、走らせました。
でも、涙が、溢れて溢れて止まりません、目が腫れぼったい。
何なん、一体どういうこと。
「さらせ冬の嵐」のせいです
。
で、帰宅後、もう一度、新曲を検証してみました。
まず、初めて聴いたとき、ドキッとしました。
それは、触れられたくない領域に踏み込まれたような感覚。
これ、ちょっとやばい曲かも・・・・とも。
そして、二度目には、女歌だとわかりました。
しかし、惠ちゃんの今までの女歌とは、ちょっと、ちがうなあ~と。
聴いているうちに引き込まれました、そして泣いていました。
もちろん、サビもいいのですが、私には「百年先も千年先も悔いはないけれど」
がツボってしまいました。
そして、今朝,、「山内惠介の歌の道標」を聴いて、松井先生が東日本大震災を経験され、
「さらせ冬の嵐」に残されても強く生きるというメッセージを込められたとの事。
だから、聞き手によって、幾とおりもの物語があるのかもしれません。
私の物語は、母の死です。
急だったので、実感がわかず、しばらくの間、涙はでませんでした。
一年ぐらい、今が春なのか夏なのかも判らず、景色はモノクロでした。
高い頂の上に一人、まさに冬の嵐にさらされ続けているのですが、感覚がないのです。
まだ、私の場合は順番ですが、お子さんを先に亡くされた方の思いはいかばかりか・・・。
そんな人びとに、「私は死にはしない」と力強く言い切る主人公。
だから、死んではいけないと。
ものすごく重いテーマだと思いました。
下手をすれば、それは傲慢にもなりえます。
でも、松井先生は、あえてシンプルな(削ぎ落した)言葉の中に、切なる思いを込められたと。
そして、その思いを郷愁とやや軽快なメロディーが優しく寄り添い、惠ちゃんの切なくも力強い
声が大団円へと導く。参りました
。
さて、幾とおりもの物語、それは惠ちゃんにも重なります。
サビの部分、惠ちゃんが思うように行かなかった時代、冬の嵐にさらされ、涙にさらされ、
それでも歌への情熱は死にはしないと。
だから、今までの女歌にはない感覚があったのかもしれません。
この曲の、サビの部分は、ある意味、生への応援歌のようにも思えます。
だから、聴いた後、不思議な達成感を感じるのかもしれません。
この曲を聴いて、惠ちゃんのファンでいて、本当に良かったと思いました。