1月26日(木)フェスティバルホールへ行きました。
杖をついて・・・。
前日25日、整形外科で全治10日と言われ、テーピングをしました。
26日朝起きると、足の甲がテーピングでうっ血したようで、ちょっと腫れていました。
一応そのまま外出し、帰ってからテーピングを外しました。
テーピングは足首を固定するので、可動域が狭くなり、かえって他のところに支障
をきたしてしまいます。
足の甲に比べ、足首の捻挫は軽いので、関節を固定しすぎるのは良くないと判断、
そして伸縮包帯に替えました。
もう少し症状が重いと、伸縮しない包帯で固定します。
2日して、少し腫れも引き、落ち着きました。
今夜からは、伸縮包帯からさらに足首の可動域を戻すため、サポーターに替え、固ま
っていたところもほぐれ、歩行も割と普通になりました。
あらすじ http://www.geocities.jp/wakaru_opera/madamabutterfly.html
以下感想、相当辛口なので、否定的な表現を好まれない方は
読まないでくださいネ!。
感想
初めて、この「蝶々夫人」の演目を見ました。
日本人による演出、歌唱ということで期待していました。
でも、悲劇的なはずなのに、何故か感動しませんでした。
蝶々夫人の中嶋さんは、上手いし、声もでているのですが、なぜなのでしょう?
違和感を感じた点が少しありました
①イタリア語の歌詞に違和感。
もちろん、プッチーニ作曲なので、イタリア語は当然なのですが、舞台衣装とか、
舞台装置、演者の心情があまりにも日本を意識しすぎたせいかもしれません。
それは、プッチーニの描く日本ではないように感じました。
デフォルメされた中に日本のテイストが少しあるほうが、いいのではと。
より日本的な感覚で描くのであれば、日本語にするべきではと思いました。
②蝶々夫人は15才で結婚し、3年間、夫を待つのですが、最初は乙女のかわいらしさ。
そして、3年後、貧困生活に陥って、みすぼらしい着物なのですが、今回は、まるで
漁師のように、ひざ丈の短い衣裳を着ていて、関取のような体型と仕草でした。
・・・それ、可笑しいでしょ?もとは武士の娘なのに。
お付きの女中は、丈の長い着物です。
一幕の結婚式の場面の美しい衣裳と対比させたつもりでしょうが・・・なんだか儚くなく
ちょっと、品がありませんでした。
③有名な蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」は、高音も伸びやかで上手でした。
でも、上手すぎて、蝶々夫人の一途さや、魂の叫びまでは、感じませんでした。
ソプラノの上手い歌を聴きに来たのではなく、日本人として、蝶々夫人をどう表現する
のかに、興味がありました。
④最後、自害にいたる心情が伝わりませんでした。
死に至る過程に、もう少し武士の切腹のような日本的な様式美があればと思いました。
あれ?死んじゃった、で終わりました。
最後まで、蝶々夫人の魂には出会えなかったようで、少し残念だなあと思いました。
あまりにも、日本にとらわれすぎ、小さくまとまり、プッチーニの壮大なオペラを表現
できていなかったように思いました。
以上、感想でした。