惠ちゃん、北広島市 芸術文化ホール、がんばってね!
北広島市、ちょっと調べてみました。
明治10年クラーク博士がかの有名なお言葉を残された地。
その7年後、開拓者精神にあふれた広島県人が集団移住されたんですね。
温暖な広島から見れば、北海道は極寒の地であった事と思われます。
スキやクワを持つ手は、あかぎれだらけ、だったのでしょうか?
いにしえ人に思いをはせるとき、畏敬の念を強く抱きました。
①北広島市教育委員会HPよりhttp://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00007661.html
明治9年、札幌農学校(現北海道大学)に初代教頭として着任したクラーク博士は、多くの教訓を残し別れの日を迎えた明治10年4月16日、島松駅逓所まで見送りにきた学生たちに「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志をいだけ)」のことばを残して去っていきました。
この有名なことばは、誰もが知るところですが、その舞台となったのがこの北広島市だったのです。
北海道開拓の支えとなってきたこの志は今も人々の心の中に脈々と息づいています。
②歴史(wikiより)
北広島市は1884年(明治17年)に広島県人によって開かれた
広島県段原村(だんばら)(現在の広島県広島市南区段原)の和田郁次郎ら広島県人25戸が集団移住。これが地名の由来となる