【その3から続き】

 単調な生活が続くクランにも、ごく稀に、数年に一度は事件が起こる。
 夕飯も終わり、あとは就寝するだけという時刻に、クラン中に響き渡るような少女の悲鳴が響いた。

 「! 紫蘭、今のは」
 「行くわよ!竜胆」

 竜胆が確認するまでもなく、紫蘭が銃を手に部屋から飛び出した。慌てて竜胆も後を追う。
 騒然とする女子寮内を無視して、階段を下り、ロビーを抜けて、外へ出ようとする。

「場所はわかってるの!?」
「いや、わからんが、外だと目安をつけた。今のはスノウの悲鳴だろう。夕食の時、リリーとスノウが外を散歩しようと話していたのが偶然聞こえたからな」

 名推理というか、よく聞き分けたものである。この辺りの土地は1ヶ月のうち20日以上は雨が降るため、晴れた日は貴重だ。この特殊な地域性こそが、このクランを人間たちの目から隠す働きもあるのだが、中にいる者にとってはストレスの一因にもなる。外出禁止の禁を破ってでも、こっそりと抜け出したくなる気持ちはわかる。

「ん、ビンゴ」

 門を出て少し走った先に、人の姿が見えた。こちらに背を向けているのがファルス、スノウ、そして、その先にいるのがリリーと……。

「え、人間!?」

 ガタイのいい泥まみれの大男である。男はリリーの細い首に太い腕を巻き付け、大きな半月刀を突きつけている。

「お願い!リリーを離して!」
「うるせえ!クソヴァンプ! おまえもこいつもぶった切るぞ」

 スノウの悲痛な叫びは、しかし、男の野太い怒声にかき消された。
 ファルスがやれやれとばかりにため息をつく。

「粗野で野蛮なケダモノだなあ。美しくない」
「黙れ、バケモノのくにせ! 男のくせに女みてえなツラしやがって!」
「はいはい。で、要求は何?」

 うんざりしたようにファルスが尋ねる。

「俺をこの森から出せ」
「あー、迷い込んじゃったわけね……。昨日の大雨でどこかに穴が空いちゃったかな」

 面倒なことになったと天を仰ぐファルスに、紫蘭が背後から声をかける。

「どういう意味だ。クランの裏は迷いの森なのか?」
「ん? ああ、紫蘭か。いや、まー、普通の森なんだけどね。道案内がないと、クランにはまずたどり着けないように、目くらましがしてあるんだよ」
「ほー。初耳だ」

 竜胆も初めて聞く話だった。クランに来たときは必ず道案内の男と一緒に、と連れられてきたのだが、そういう意味があったのか。

「貴様が森の管理人のような口ぶりだな」
「いや、細工を手伝わされたことがあってね。たまたま知ってただけだよ」
「何をゴチャゴチャ言ってやがる! 俺をこの薄気味悪いところから早く出せ!」

 男は恐怖で混乱しているようだ。よくよく見れば、服も擦り切れて穴だらけだし、泥まみれの顔から見える肌の血色も悪い。一日中この森で迷っていたのだろう。

「どうする? 撃つか?」
「おいおい、キミの射撃の腕を信用してないわけじゃないが、リリーがいるのにそれはないだろう。ここは僕に任せてくれ」
「任せろ? 大丈夫なのか?」

 ファルスを信用してない紫蘭が苛立った声で確認する。ファルスはそれ以上にも増して剣呑な目つきで頷いた。

「殺させないよ……絶対にね」

 言うや否や、ファルスは両手を挙げて、男にズカズカと近づき、後ろを向いて座り込んだ。

「お、おい、何の真似だ」
「道案内してやるよ。だからその子を離せ。そして僕の背中に剣を突きつけろ。そのまま後についてこい。それでいいだろ」
「なっ……?」
「ファルス!そんな……」

 要するにリリーと人質を代われということらしい。庇われたリリーも思わぬ献身的な行動に困惑している。その重さを考えると、素直に喜べないのだろう。

「正気か? 格好をつけすぎだぞ」

 紫蘭もまさかファルスがそういう身の投げ出し方をするとは想像していなかったようだ。顔をしかめながらも、いつでも撃てるようにだろう、静かに銃の撃鉄を起こしている。

「油断させておいて、反撃するつもりじゃねえだろうな。この女を先に殺すからな」
「もー、この体勢からどうしろっていうんだよ。ヴァンプは魔法が使えるわけじゃないんだぞ。何なら裸になってもいいんだけど、レディたちの前だからね」

 まだ怯えてる男に軽口を叩いているが、あれでは挑発に聞こえないだろうか。何もできない竜胆はハラハラするばかりだが、男はもはや肉体的にも精神的にも余裕がないのだろう。言われた通りに、ファルスに近づくと、リリーを突き飛ばして、ファルスの背中に剣を突きつけた。

「キャッ!」
「よし、動くなよ」
「痛っ、先っぽチクッとしたぞ」
「うるせえ、本気で刺されたくなかったら早くしろ」

 ファルスがどうするつもりなのかは知らないが、多少は事態が好転した。ホッとして竜胆が倒れたリリーに駆け寄ろうとしたのも束の間、リリーが右手に大きな石を持ち、男の頭に投げつけた。

「ぐわっ!」
「ファルス、逃げて!」
『バカっ…!』

 リリーの愚行に、ファルスと紫蘭が同時に叫んだ。責任を感じたのだろう、何とかファルスを助けたかったらしいが、完全に逆効果だ。
 極限状態にある男はファルスを無視して振り返り、リリーを睨み付けた。

「……」
「あ、ああ……」

 獣のような雄叫びを上げ突進してくる男を、リリーとその後ろにいた竜胆は蛇に睨まれた蛙のように硬直して見上げていた。逃げなければいけないと頭ではわかっているが、身体が動かない。
 男が剣を振りかぶり、力任せに振り下ろす。
 その瞬間、リリーの身体が吹き飛んだ。

「僕のリリーを、おまえのような小僧に殺させてたまるか」
 
 バシュッと鈍い音がした。大量の血しぶきが、周囲を赤黒く染める。

「いやああああああああ!」
 
 リリーが絶叫する。ファルスの倒れた姿を見て。
 ファルスがリリーを突き飛ばして庇い、斬られたのだ。

「!!! 貴様もバカだっ!」
「ぐっ!?」

 紫蘭の怒声と同時に放たれた銃弾が正確に男の眉間を貫く。男は背中から倒れると、ピクリとも動かなくなった。残酷だが、襲ってくる人間に容赦など抱かないのがヴァンプである。

「敵は躊躇いなく殺せ。殺されるぞ」
「……もう手遅れよ」

 竜胆は思わず呟いた。紫蘭のその説教は、もうファルスに届いてない。死んでから「殺されるぞ」もないものだ。
 
「何が手遅れだって?」
「ひぃ!」

 当の本人の声が聞こえ、竜胆は驚愕して飛び退いた。

「いてて。勝手に殺さないでくれよ」
「うそ……」

 右肩を左手で押さえながら、しかし、特に命に別状がある風でもなく、ファルスが立っていた。

「よかった……。ごめんなさい……ごめんね、ううう」
「ありがとうファルス……。リリーを助けてくれて」

 安堵で泣き崩れるリリーを、スノウがふわりと優しく抱きしめる。

「ふん、死んだと思ったのに、しぶといな。愚策だったが、結果的に全員助かったのだから、良しとしてやる」
「手厳しいな。でも、紫蘭がいて助かったよ。この面子じゃ戦闘力あるのはキミだけだ」

 むしろ文系で戦いからはおよそかけ離れたタイプばかりである。

「……」

 リリーたちがファルスを讃える中、竜胆は青ざめた顔で今見た光景を思い出していた。
 三人は立ち位置と角度を考えると、ファルスが人間に斬られた瞬間を正確には見ていない。だから、おそらく「剣が直撃はせず、致命傷は避けられた」と解釈したのだろう。
 しかし、目の前にいた竜胆ははっきりと見ていた。
 その剣がファルスの肩から心臓を貫通し、上半身が『取れかける』ほど食い込んだ、その凄惨な光景を。

(恐怖が私に見せた幻だった? でも、あの血は……)

 すべて夢を見ているかのように、目の前の光景に現実味が感じられない。この身に浴びたファルスの血の感触とニオイだけが、苦く竜胆の心に侵食していくようであった。

 

【その5へ続く】