子供の頃、近所の豆まき、拾いに行くのが楽しみでした。豆まきと言っても、撒くのはお菓子がメイン。小玉ミカンや5円玉もあったかな。豊かな家や商売屋は、撒きものが豪華で、沢山の子供が集まりました。小学校何年くらいまで拾いにいったのかなあ。ある年から、突然なくなった気がするので、大人たちが話し合って、一斉にやめたのかもしれない。

我家は今年、豆まきもしませんでした。昨日、知り合いから貰った福豆を食べただけです。

ここで掛け声をかけておこうかな。「福は~内、鬼は~外」

今でも仕事をしてはいるけれど、ゆっくり、マイペース。

20年くらい前は、年を越せるように算段して、

年末に、小切手を先方に持っていって支払うという相手もいたから、忙しかったな。

その頃は、それが当たり前と思っていたから何とも思わなかったけれど、ほんとに大変な年の瀬でした。

年末の楽しみと言えば、餅つきでした。

石臼、杵、せいろなど、餅つきに必要な道具は揃っていました。

前日に、母がいろいろ準備し、翌日、朝早くから、もち米をふかし、餅つき。

父と母、二人で大変だったろうな。

子供の私は、杵の音で目を覚まし、しばらく、そのまま、お布団の中で、その音を楽しんでいました。起きて、つきたての餅をいただき、何臼か目のお餅を手でまるめさせてもらいました。

のし餅にするための、のし台もあったから、ほんとに何でも揃っていたんだなあ。

もち米は勿論、あんこも畑でとれた小豆からこさえ、1年がかりの手はずです。

その頃は何という事もなく食べていたけれど、今思えば、大変な手間のかかった大御馳走でした。

神棚、地の神様に供えたのは覚えているんだけれど、お寺にも持って行ったんだろうな。

昨日、夢をみました。

小学校で、催事があって、運動場の隅に車を停めました。用事が済んで、帰ろうと車を捜しても、なかなか見つからない。車を運転するくらいだから、私は大人なんだけれど、運動場は、私が小学生の頃、通っていた当時のままです。

何台も並んでいる中で、やっと、自分の車を見つけて、「あー、良かった。これでおうちへ帰れる」とほっとした所で、目が覚めたんだけど、見つけた車は、免許取りたてで乗ったシビックでした。それから、何台か乗ったのに、やはり、初めての車が思い入れがあるのかな。

免許もとうに返納したし、乗っていたころも必要に駆られてで、運転するの好きじゃなかったので、車の夢を見るとは思いませんでした。シビックを運転していたころと、今と、住んでいる家が違うんだけれど、どっちの家に帰ろうとしていたのかな?

昨日、隣の家の事を書いたので、その続き。

子供の頃、お風呂は、共同浴場へ行ってました。運営母体は、自分たちの町だったのかな?

字名の入った湯札があり、それをもって、お風呂に行ってました。入り口で、その湯札を渡し、お風呂に入る。大きな湯と、子供用の少し温度の低い小さな湯があり、民営の風呂屋さんより、ずっと安かったです。

その共同浴場に行ったのはよく覚えているけれど、お隣の家でお風呂に入らせてもらった事があったのも覚えています。

お風呂に入った後は、その頃、いきわたり始めたテレビを見せてもらいました。

そのうちに、自分の家でもテレビを買い、もう、見せてもらいに行くことはなくなりました。

でも、隣の人がお風呂に入りに来たり、テレビを見て楽しんでるなんて、今では信じられませんね。