解説

写生

自然や事物を実際に見たままに描くこと

日本大百科全書

 

 

辻村深月作品はミステリーだと評される。

 


デビュー作「冷たい校舎の時は止まる」で、高校生活の日常にクローズドサークルを持ち込みデビューして以来、不思議な力を持つ”ぼく”を描いた「ぼくのメジャースプーン」「名前探しの放課後」など多くの作品で”謎”が提示され、物語が展開する。

 

本作もまた”謎”から始まる。

「静岡県で見つかった、女児の白骨遺体(中略)見つかったのは、ミカじゃないか。」

クラスで目立たず、少し浮いている小学4年生のノリコは友人の誘いでミライの学校という学び舎で1週間の夏合宿に参加することになる。

 

ミライの学校は子供の自主性を重んじ、自然の中で子供の成長を目指す団体で、幼等部から高等部までの子供たちが住み込み共同生活をしていた。そこでは「問答」と呼ばれる独自の教育方法が実践され、将来につながる豊かな思考を身につけることができるとされていた。

 

ノリコはこの合宿に3年連続で通い、ミライの学校で共同生活を行うミカやシゲルと出会うなど、普段の学校生活とは違う非日常楽しんだ。だがそれはあくまで小学生の1週間に過ぎず、いつの間にか思い出すこともなくなり時が流れた。

 

そんなある日、40歳になった弁護士ノリコの元にある依頼が飛び込む。ミライの学校の跡地で見つかった遺体が自分の孫かもしれない…

 

 

 

一見すると宗教的団体の過去を巡るミステリーだ。

だが、本作は違う。

 

 

辻村深月だからだ。

 

 

 

辻村深月はどうしても人間が好きだ。

幸福を求めて日々努力するが、悩み、もがき苦しむ。予定調和にはいかず、間違い、すれ違う。上手くいくことの方が少ない。それでも今日を生きていく。

そんな人間がどうしても好きだ。

 

だからこの世界を切り取らず、真っ直ぐに向き合う。一筋縄ではいかず、単純に記述することができない世界を余すことなく描く。

 

そんな彼女の描く世界が混沌に発散しないのは、辻村深月に深い優しさがあるからだ。

辛いことがあれば慰める、嬉しい時には共に喜ぶ、そんな表面的でありふれた優しさではない。

相手の奥底まで溶け込み受け止める。

誰からも触れられたくない過去や悩みを、目を背けてきた考えを、時に拒絶したくなるまで残酷に掘り起こす。逃げたくなることもある。

それでも、最後に彼女は必ず受け止める。包み込む。そして生きる道筋を与える。

 

 

それが彼女の優しさだ。

 

 

 

本作もまた内と外を巡り人々の悩みが、葛藤が、生きづらさが随所に描かれる。

 

幼少期の法子は、集団生活で他人に馴染めないことを恐れるが、友達と上手く関係性を築けない。

大人になった法子も、法曹の世界で正しさを真実を希求して生きる一方で、子育てに悩み、ミライの学校に対して好感を抱き続ける。

 

瑛士も、ミライの学校への懐疑心や子育てへの不安を持つが、妻を否定せず共に子育てに奮闘する現代の夫のあるべき姿を演じる。

 

幼少期の美夏もまた、”麓の生活”に強い憧れと叶わぬ悲しみに打ちひしがれるが、あくまで優等生であり続ける。

大人になってからも、ミライの学校で生きるが、子供には夢を託す。そして法子と再会しても思うように心中を明かすことができない。

 

物語の舞台であるミライの学校は、内と麓の世界である外を強く区別し、アナーキズムのもとで子供の自主性を重んじる教育を目指すが、結果的に大人の正しい道に子供を導く教育から逃れきれず、カルト的団体と捉えられる。自立した子供を育てようとするが、育った子供たちは学歴を持たず外の世界に出ることができず組織の再生産に与する。

 

ミライの学校に強い反感を抱くようになった賢も、孫を探す吉住夫妻も、滋も。

内面と外面、内と外が対比的に描かれ続ける。

 

というのも、世界は一元的に捉えることができないからだ。

見方、考え方、価値観に正しさはない。経験次第で、相手の理解の深さで、その時勢によって、どうしても捉え方は変わる。

そこに正解はない。

 

本作を読むと、それぞれの登場人物に対して、相手の立場を考える”良い人”だと感じる時もあれば、盲目的で自己中心的な人間に見える時もある。

残酷にも世界を都合主義で切り取ることなく内と外を描き続ける結果、一様に捉えられない、正解のない世界を私たちに突きつける。

 

 

 

そんな残酷な現実を突きつける本作だが、読了後には必ず辻村深月のことを好きになる。彼女はその愛をもって私たちを包み込む。
ミカが過ごした泉から溢れ出る愛で、

法子の眼から溢れ出た愛で。

 

 

 

 

 

辻村深月は高校生で筆を取って以来、自身の成長に合わせて作中の主人公像も変化してきた。高校生から若い女性に、そして結婚生活に奮闘する母親に。自身のライフスタイルの変化が価値観の変化が作品に影響を与えてきた。

 

本作は過去と現在、二つの世界を行き来する。さながら過去と最近の作品とを読み比べているようだが、本作は過去と現在ともに更に磨きのかかった世界が展開される。

 

その中に地方と都会、家庭生活のあり方、正と誤、性と女性、善と悪。これまで彼女が向き合ってきた様々な要素が複雑に配置されており、彼女のこれまでの経験世界そのものに思えてくる。

 

 

 

 

そう、ここにあるのは現実世界そのものなのだ。

 

 

 

 

小説

虚構の世界をあたかも現実の世界であるかのように誘い込むことを目的とする散文学

新明解国語辞典

 

 

世界の一部分を切り取り、虚構の世界を作り上げる小説に対して、辻村深月はその先の世界を作り出す。一人の登場人物の”過去”を描写し行動に至るまでの要因を提供し、”未来”をその先を示す。内面も外面も描き切る。

 

写生

自然や事物を実際に見たままに描くこと

日本大百科全書

 

 

 

ミステリーではない。小説でもない。

現実世界の写生だ。

 

 

 

 

 

現実世界だから、辻村ワールドは一つの作品では終わらない。作品を読み進めていると、ある作品の登場人物が他の世界で生きている姿が描かれていることがよくある。その時、読者はバッタリと道端で古い友人に会ったような懐かしさを感じる。そして、確かに一冊読了してもその世界が続いていると感じる。

辻村深月はそんな世界を作る。

そこには暖かい世界がある。

いつも迎え入れてくれる暖かい世界が。

 

 

 

私事だが、本作を持って私の辻村ワールドの旅は一つの区切りを迎える。ここまで2年に渡り多くの作品に触れ、様々な人に出会い友達になった。

 

世界に真っ直ぐに向き合えず深い海の匂いを纏う理帆子、自分の仕事とチヨダコーキへの強い愛情溢れる環、売ることに冷徹ながらも優しさを併せ持つ黒木、世界の繋がりを教えてくれたこころ、大人になりきれない子供の苦しさに泣いた藍、どうしても愛情深い月子、冷たい水と深い愛のあるあすな、いつもプールの匂いのするいつか、二人で生きていく秀人とふみちゃん、秋先生、寒い闇夜に冷たい校舎で共に過ごした深月、、、、、

 

29冊で出会った。たくさんのたくさんの友達に。

この思い出は琥珀にはならない。

彼らは今もこれからも

 

 

 

写生にはもう一つの意味がある。

 

「②生命の動きを表すこと

(新明解国語辞典)

 

写生家 辻村深月が、新たな生命の営みを、友達をまたこの世界に産み落とす、その日まで。


(解説家)