前回から丸二か月も経って、年も変わってしまいました煽り
元気なんですけど、相変わらず仕事が忙しく、帰宅してからブログを書くゆとりもなくガーン

丸一年経ちました、今の職場にきてあっという間に毎日過ぎてしまいます。

 

前職を辞めるきっかけは「パートになってくれ」と言われたためですが、確かに現職の1/100ほどの仕事量・難度でしたねショックショック

でもだらといって一朝一夕に身に着けたわけでもないし、いいように使われてきた自負もあります、やっぱりパート降格は受け入れなくて良かった。今の職は忙しいけれど、暇でやることがないほうが負け惜しみでもなく、ずっと良いですスター

 

ところで先日テレビで西川貴教氏がglobeのラブアゲインを歌っていたカラオケ

50過ぎらしいけど、相変わらずのびやかで声量があって、聞惚れた乙女のトキメキ

 

で、これを発端にYouTubeで西川君やglobe、華原朋美なんかの当時の映像を見る土日でしたハートのバルーン

 

彼らの歌がものすごく流行っていた時、私は大学に入ったばかりのころ。

大学でできた友達とカラオケに行ったり、初めて居酒屋に行ったり、下宿生のおうちでお鍋を作って泊ったり…

歌と共にあの頃の映像や気持ちがよみがえる、めぐってくるおすましペガサス

 

私は生まれ変わったらとか来世に期待って全く思わないけれど、もう二度と戻れないあの頃を思うと、今もまだ子供部屋オバサンしながら彩のない暮らしを続けている自分がみっともないなぁって。

当時の友達とはもう誰とも連絡もなければ所在も不明だけど、結婚・子育て中であることは知っている。

結婚はともかく、子育てはしたいと思ったこともないので憧れではないのだけど、何も変化も希望もなく過ごしている自分が恥ずかしいというか。

 

振り返っても大学当時がではキラキラ&前途洋々だったわけでは決してないし、当時も性格の根本は今と同じ…

ただそのまま中年のオバサンになって年月を経た。

 

救いというか希望は…

私も大学を出て20数年働いてきて、定年を65に設定しても、残りの社会人生活よりも働いてきた年月が長いというのは、ちょっと希望があるかなと…。低収入ながら失業保険をもらう間もなく、一応は定職に就労し続けたのは頑張ってきたなと。

 

倹しい暮らしで、キラキラ要素のない日常だけど、能登半島地震や病気の人を思えば、平凡こそありがたいのだなと思う。

というのも結論から言うと異常なしではあったけど、先日大腸の内視鏡検査を受け、「がんの可能性あり」と言われたばかりだった。この時思った。今まで一応健康で、死にたいと思ったことは多々あったけれど本当に死ぬとなったら余命をどうすればよいのか、死ぬまでにやり残したことは、とか。

 

コロナ禍をきっかけにこの3年ほど、クラシック鑑賞や観劇からほとんど遠ざかっており、転職の疲れもあってほぼ土日は引きこもり。久しぶりに劇団四季@西梅田のチケットを買ったことで、丸ビルが解体されたことも知った。梅田北側の開発もすごいらしく、私が通勤していた時代(もう10年以上前だから当然か)とは全然違うのだろう。

 

お天気も好くない、曇天で寒い土日に引きこもっていると、どうしても未来ややりたいことよりも、美化した過去とどうせ…といういじけた思いが募ってくる(私の気質だけか)

 

明日も仕事。とっとと床についてしまおう。ではまた!