こんばんわ。アクセスありがとうございます。

今日はお正月最終日でした。明日からまた仕事して、帰って、寝て、という日常が始まります。

だらだら気ままに過ごしたお正月気分に区切りをつけて、明日からまた規則正しい生活を送りたいと思います。ただ、明日が月曜日というのが少々憂鬱ですが。


ところで今日は、毎年恒例の兄弟家族+私で初詣に行って参りました。通年はこの時期、雪が降ったり時雨ていたりで、参拝客も早々に引き上げていたと思うのですが、なんせ今年は異常気象というのか、この陽気のおかげか、ものすごい参拝客と車の量でした。

広い駐車場はどこも満車、業を煮やした義兄は私たちを神社近くで降ろし、自分はそのまま遠い駅前まで駐車場を探しに行ってくれたため、合流は一時間もあとになりました。優しいお義兄さん、ありがとう。

甥っ子たちは非常になついてくれているので、遠慮もせず「あれ買って」「これ食べたい」と好き放題。はぐれないように手をぎゅっと掴んでいるのもかわいいものです。

肝心のお参りも、あまりの人のため、正面からはできず横からお賽銭をエイっと。「もっと入れる~」と言っていましたが、そこは神様も許してくれるでしょう…。


この10年くらい、どこの神社や教会に行った時もお祈りの内容は同じ。

「家族の健康」、「平穏な暮らし」です。

20代は私も社会に出て、ただ自分の仕事や人間関係に右往左往していただけだったと思います。何かあればすぐ不平不満を抱き、会社なんて辞めてやる!こんな会社潰れてしまえ!だなんて、自分の貢献度合いも顧みず、また自分が設立したわけでもないのに、調子に乗って、たとえその場だけの愚痴であったとしてもおこがましい、生意気な考えでした。お祈りするときも、ただ「〇〇さんとうまくいきますように」とか、他人の幸せ<<<<自分、だったような気がします。

だけど、家族の病気や不本意な失職を経て、心から「平穏」を望むようになりました。もっと若いうちからいろんな経験をした人からすれば、遅すぎる甘ちゃんだと思いますけどね。世界の不安定な地域を思っても、日本に生まれただけでラッキーなことと思うようになりました。しらけられてしまうかもしれませんが、やはり、痛みを知ることは悪いことだけではなかったのかなと今、思えるようになりました。


明日から仕事再開です。

こんな私に居場所を与えてくれたことに、すごく感謝しています。もし、あの時の辛い経験や思いをしなければ、「足るを知る」こともなく、相変わらず不平不満にまみれて、かといって自分から動き出そうともせず、自縄自縛だったでしょう。今の場所も、当たり前ながら、何もかも満足!なんてことはないですが、「置かれた場所で咲こう」と思います。

明日からの人も、すでに始めている人も、家にいる人も、みんないろんな思いを抱えて日々を生きていると思います。みなさんもまた一年、平穏に過ごせることを画面の前から祈っています。

ではまた。