こんにちは

さつきです。


退院してから気づいたら全然ブログアップしてないー驚き

すみません昇天

3時間おきに基本寝て起きてオムツ変えて、オムツ変えて、授乳して、オムツ変えて、食べて、寝ての生活で今自分がどこにいるのか迷子です爆笑


もう初対面の日から20日経ってるのか、と思うとびっくりですが、未だ色濃く残っている帝王切開の一部始終を綴っておきます。




帝王切開と決まり、色々な後悔で涙が溢れてきてしまい、助産師さんが心配して話を聞いてくれました。


いま、何が1番しんどい?


私がこの子のタイミングを無視して動きまくったから、まだ準備できていないのに破水させてしまったんじゃないかって思って、、、

それでもこの2日、私に付き合って陣痛を起こしてくれて、最後は決意を決めて降りてき始めてくれたのに、タイムアップになってしまって、この子にごめんなって気持ちがすごくあって。。。


あと帝王切開がとても怖いです。お腹切られるってどんなんなんやろって。。。


自分を責めたらあかんよ。

もしかしたらお腹の子が自分で蹴って破いちゃっただけかもしれないし、赤ちゃんも産まれてくるのは、すごく決意のいることやねん。だから、蹴って破水させちゃったけど、やっぱり怖くて降りて来れなかっただけかもしれないし。

何か理由があって降りて来れてないだけかもしれないんよ。赤ちゃんが自分で選んでお母さんのところに来るには、帝王切開で出てきた方が安全やって判断したのかもしれないから、それは赤ちゃんの選択を尊重してあげて。


それに、帝王切開って怖いよね。

でも先生も慣れてはるし、大丈夫だからね。

私もオペに入るから、安心してね。


と言葉をかけてくれました。


少し落ち着いて、涙も止まってきて、助産師さんは部屋を出て行きました。


入れ替わりに夫くんが入ってきて、夫くんにも気持ちを聞いてもらって、少し泣いて、また落ち着いて。

そんなこんなをしていたら、気づけばもう12時。



昨日の21時から絶食。夜中の3時から絶飲。

喉乾いたー。お腹すいたー。怖い。ごめんなさい。もうすぐ会えるね。頑張ろうね。陣痛痛い。

色んな感情がぐるぐる巡ってました。


尿管やら点滴やら色々されて、体はずっと寝てるから酷かったむくみも更にひどくなって、手、足の指もパンパンで曲がらなくなってきてて、


ただ、あと2時間後には我が子に絶対に会えるんだ。


その希望だけが、唯一心の支えでした。


13:30


時間が来て、オペ室まで歩いて移動。

部屋の真ん中にはベットが一つ。

幾度となく経験した採卵で見慣れたオペ室の風景。


入院着を脱ぐように言われ、え、ここで全裸ですか驚き

と一瞬思ったものの、モジモジしてても始まらないので、意を決して入院着一枚を脱ぎ捨て、全裸になってからベットに横たわり、色々な設備を装着。


色んな線が身体中に付けられて動きにくいけれど、脊椎麻酔をするために、注射をする位置が1番突き出るように、横を向いてお腹の中の赤ちゃんのように体を丸めらように言われた。

お腹にまだ赤ちゃんがいるから、あんまり圧迫したくないのに、結構ぐっと丸くなるように、周りのスタッフに援助されて、背骨に注射で麻酔を注入。

反射的に体がピクッと動くと、危ないから動かないで!と、注意。

でも反射で動くのはどうやったら止められるんだよー。と思いながら注射終了。


その後また仰向けに、まだ足の感覚はあるものの、だんだんと痺れ始め、足が冷たくなっていった。


先生から、

足の感覚ある?


ちょっと痺れてきました。あと、すごく冷たくなってきました。


え?冷たくなってきた?あったかくなるはずなんやけどな?


え、めっちゃ怖いやん。

さっき動いたから変なことなった?驚き


先生が麻酔の効き具合をチェックのために、消毒用のコットンを私の胸の辺り、みぞおちあたり、おへそ周りに順番に付けて、胸の辺りで感じる冷たさを100として他の部分はどのくらい冷たく感じる?


1回目

100です。

みぞおち

100です。 

おへそ

んー100です。


2回目

100です。

みぞおち

80です。

おへそ

んー60?


3回目

100です。

みぞおち

んー80です。

おへそ

んー80?


先生はため息をついて、もう私の麻酔の効き具合を、チェックするのをやめて、オペの準備へ。

だって消毒液が乾いてきてて、胸のあたりですでに冷たくないんだもん凝視


私からオペの様子が見えないようにシートがかけられ、オペを始めますよーと声をかけられました。


見えないのはわかっているけど怖くて目を閉じていました。


赤ちゃんがいてるあたりを、グッグッグッと割と強い力でおへそ側から足側へ順番に押され、その後すぐにお母さん、もう産まれるよ。目を開けて!


と言われて、目を開けると、


お腹が少し軽くなった。

軽くなったかと思うと、おぎゃー、おぎゃーと我が子の力強い産声が。


あー良かった。力強く泣いてくれてる。

すぐ横で生まれたばかりの我が子が、昼間ずっと私を担当してくれた助産師さんに体を洗ってもらっている。


あー。ちゃんと人間の形をしてる。良かったー。

元気で怪我もしてなさそう。

安心と嬉しさで涙がポロポロと溢れてきた。


体を綺麗にしてもらった我が子は私の元へ来て、

女の子でしたよ。と言ってほっぺをくっつけてもらった。


あったかい。良かった。本当に良かった。

産まれてきてくれてありがとう。


そう言葉をかけたら、保育器へ運ばれていった。


帝王切開で産まれた赤ちゃんは、肺に羊水が溜まったままのことが多いらしく、2時間ほど保育器で呼吸が安定しているか様子を見るのだそうです。


夫くんは保育器越しに我が子に初対面。


私はその後お腹の縫われている間、静脈麻酔で眠らせてもらい(そんなにキツくない麻酔で、意識朦朧くらいでした。)その後オペ室から、待合室に戻されて夫くんと対面。


脊椎麻酔が切れてきたのか、お腹の痛みが増してきた。足の感覚はまだなく、体はとても冷たく感じ、手はガタガタ震えてきた。足を動かそうにも、力の入れ方がわからない。


寒い寒いと夫くんに訴えるけれど、夫くんはさつきの足は熱あるんじゃないかってくらい暑いであせる

と困惑するばかり。


頭の中では、脊髄麻酔の時に反射でピクッと動いてしまったことが頭をよぎる。

あの時動いたから、もしかして、半身不随になってしまった?このまま車椅子の生活になったら、どうやって育児していこう。


そんなことが頭をよぎりながら、足は感覚がないままなのに、後陣痛の痛みとオペの切り傷の痛みが襲ってくる。痛い痛いと年に似合わず泣きじゃくって


ナースコールを押して、涙目で痛み止めをもらえないか訴えた。


痛み止めをもらって少し痛みが和らいだ頃に、我が子が保育器から出てきて、部屋に来てくれ、一緒に写真を撮りました。


でも術後の痛みで泣きじゃくった後の顔はパンパンで、目を開けたつもりなのに、写真を見返すと寝てるみたい昇天

あったかい我が子に冷え切った私の手で触れていいものか分からず、生まれたての我が子のほっぺをツンツンと指で触れ、ちょっと迷惑そうなそぶりをする我が子を見て、わぁー生きているんだなぁと改めて思いました。


その後、自分の胎盤を見せてもらったりもしたけれど、ベットの上からだとよく見えなくて、あとで血の苦手な夫くんにビデオ撮影してもらうという笑


手術後6時間ほどして、少しずつ足の感覚は戻ってきて、9時間後にはほぼ元通り。

夜の9時ごろには、また痛み止めが切れてき始め激痛が。

ナースコールを鳴らして、また痛み止めをもらいたいと伝えると、夜中用の麻酔を使うのに、今使ってしまうと夜中に効果が切れてしまうからもう少し我慢して。

と言われて絶望魂が抜ける


エアコンの温度を上げてもらい、少しでも体を冷やさないようにしたら、痛みが少し和らぎました。

よければどなたか参考にネガティブ


我が子は私のお腹を開いた時、羊水はほとんどない状態で、臍の緒は40センチほどだったそう。


助産師さんには本当か慰めかわかりませんが、羊水も少なかったし、臍の緒も40センチくらいだったから、降りてくるのが難しかったのかもしれないねって言ってもらいましたにっこり

今はその説を信じ、何より健康で産まれてきた我が子に感謝しています。


そんなこんなで、20日たった今では時々変な体勢になってしまって、傷口が痛かったりはするものの、普通の生活を送れています。


もう少し落ち着いたら別ブログにて、時折育児のブログもあげたいなと思ったり。


第二子をと思った時には、またこのブログにて記録していこうと思っています。

出産を通して体質が変わるとはよく言われますが、それは抗セントロメア抗体の値にも適応されるのか、採卵や、受精率、分割の仕方などにも変化はあったのか。そんなことも、綴っていけたらと思っています。


今のところ計画としては、おそらく34歳の誕生日あたりから採卵を開始し、35、6歳くらいまでで、胚盤胞を2個凍結が目標です。


今回授かった我が子が一人っ子になるのか、お姉ちゃんになるのかも神様に委ねようと思います。


長らく私の出産までのお話にお付き合いくださった皆様ありがとうございました。

今後は妊活まとめや、振り返りブログに戻ります。


いつ更新するかわかりませんが昇天

気長に待っていただければと思います。


本当にありがとうございましたニコニコ