とあるSNSで見かけて
少し気になったことなんやけど、

発達障害児を育てたことのない方が
昔は発達障害なんて言わなかった、
今はあれもこれも凸凹があれば
発達障害だーとか
育てにくさや、躾の手抜きのために
発達障害って言葉を使ってるとか
まぁ、色々お話しされてるわけよね。



もちろんなんか、理解できることもある。
ただ、親が子供の発達を気にするとか
凸凹も個性だからって心配しないわけには
やっぱりいかないわけよ。


現にうちの子達は凸凹って表現を使うなら
1歳の健診のときにはもうすでに
少し気になってたよね。
目を合わせない、呼んでも振り向かない、
反応が本当にない、
もう少し進んで3歳にもなれば
言葉は遅いし、なんなら歩いたりも
全てが本当にゆっくりやった。

これは『個性』で片付けていいの?
凸凹してるね〜でいいの?


だめでしょ。


やっぱり専門の人に相談するでしょ。
心配なら療育の手続きや
発達検査で詳しく調べたりもするよね。



昔の考えで、そんな子いっぱいいたけど
診断なくても頑張ってたよ、
的なニュアンスの話をされると
実際、発達のゆっくりな子を育ててる親として

何事も絶対早い方がいい
気になったら、絶対早く相談した方がいい。
療育も受ける必要があると言われるなら
絶対受けて、その子のために動く方がいい。
だらだらこんな子もいるよね〜
って感覚でそのままにしちゃダメだとどう。
気になる子って思うなら
絶対気になるを気にしてあげて
その子のために動いてあげる方がいい。



あとね、発達障害って言葉を
躾の盾にしてるって話をしてて

うーーーーーーーん


育てにくいって悩むお母さん、
いっぱい考えて考えて考えて、
色々悩んで相談して
色んな傾向がヒットして発達障害のある子に
たどり着いたのに
その躾の盾って言われるとなーんか
理解が得られなさすぎてるなと思う。


なんかさ、子供が生きにくい世の中って
普通に考えて避けてあげたいやん?
できるなら対策してあげたいし、
少しでも生きやすい、理解のある世の中で
あってほしいって思うやんか。

昔はこんなことに対してのフォローなくても
普通に生きて来れたみたいなことを
仰ってたんやけど、今もそうなのかな?
私の周りは、同じように発達に対して
不安を抱えてるママさんたちは
さっきも話したけど、できる限りのことは
してあげたいよね、
って気持ちで動いてると思うんよ。


だってさ、自分の子供が生きやすい、
理解を得られると
お母さんの気持ちも少し楽になるやんか?
親はそっちのけ、子供が生きづらいと感じるか、
みたいなところに焦点を当てるのではなく、
子供の思いは大前提、
一緒に生きてる親の思いもまとめて
フォローが絶対必要。


世の中で言ったら発達ゆっくりさんたちは
少数派なのはわかってる。
だからこそ理解がえられない、
古い考えの人がまだまだいることだって
全然理解はできるんやけど
私たち、発達に対して不安を感じてる親は
めちゃくちゃ自分の子供に対して
頑張って向き合っていい方法をみつけよう、
試そう、いい支援に結びつけようと
必死に動いてることをわかって欲しいと
心の底から思いました。


発達障害児を育てたことない、
浅い知識や興味だけなら
あんまり首を突っ込まないで、
って言うのが本音だったりします。

ただ、願うのは
たくさんの理解がありますように。
です。



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