家にあったテレビには録画機能が付いていなかったから、見たいものはリアルタイムで見るしかなかった。
その頃社畜のようだったから、ドラマも歌番組もバラエティもほとんど見れなかった
そうは言っても一日中緊張しっぱなしだった脳をほぐす為にテレビが見たくて、無理矢理夜中のBSのドキュメンタリーやらNHKの番組ばかり見ていた。でも良作が沢山あった
あの頃真剣にNHKエンタープライズに就職してドキュメンタリー制作に関わりたかったと思ったものよ
そんなある日、泥のようにくたびれた身体で夜中にテレビをつけたら堀口大學のドキュメンタリーをやっていた。語りは西島秀俊だった。
その詩の素晴らしさに感動して早速Amazonで検索をかけたらドキュメンタリーに出ていた詩集は既に絶版になっていた・・
(なんてこったい🍂)
それでも諦めずAmazonのマーケットプレイスで手に入れた詩集を今でも大事に持っていて、ベッドサイドに置いてある。
時々パラパラと頁を括っては惹かれる詩を読み返している。
贅沢な時間というのはこんなのも当てはまるのかな。「時々」の頻度が減ってきているのが心身の疲弊を表しているようで残念な今日この頃だけれど
高校生の頃は寺山修司にどハマりして、社会人になったら堀口大學にはまったことが我ながら人生に奥行きができたようで(?)歳を取るのも悪くないなと思った
「すぎた日頃」という詩は今でも何度も読み返す。読み返しても読み返しても色褪せない心情がこの詩には宿っているように感じる。
人生の終わりにこんな風に思えたり、いつもと同じ美しい景色を眺めて思ったり。情景は一つにとどまらない普遍的な詩だと思う
"すぎた日頃"
行ってしまった
遠くの方へ
すぎた日頃は
よい日であった
すぎた日頃よ
帰らぬ昨日
泣くのをやめよう
私のこころ
海と山との
景色が残る
一人でなげく
心のために
行ってしまった
遠くの方へ
すぎた日頃は
よい日であった