中村文則 平成23年夏号「文藝」
一番欲しいものはいつも手に入らない。手に入らないなら憎むしかない、壊すしかない。だから私は人を裏切り続ける。
唯一の親友とその子どもを亡くしてから私には守らなきゃならないものが無くなった。あるのは卑小な自分の命だけ。親友の子どもの手術費用を稼ぐ為に始めた娼婦の仕事を、子どもが亡くなってからも続けている。どこにでもあるありふれた大勢に受け容れられる価値観なんか要らない。それは私を絶望させるだけ。
いつものように矢田から頼まれたターゲットに近づいて、甘い言葉を囁き、胸元と脚を見せて誘惑する。セックスドラッグだと言って錠剤を飲ませるか、ダミー宝石に仕込んだ睡眠薬をお酒に入れる。乱暴な客には腰に仕込んだスタンガンで気絶させてから睡眠薬を缶ビールで流し込む。そうしてスキャンダルになるような写真を撮って矢田に渡して金を貰う。娼婦なのに身体を売らない。そのほうが巧くいく。
とある仕事で異変が起きた。ターゲットの胸にナイフが突き立てられて絶命してた。ホテルの部屋の電話が鳴って出ちゃいけないと思うのに出てしまう。
「……その部屋から出られれば、の話だが」
私の逃走劇が始まった。
もともと中村文則さんを読むきっかけは読者登録させてもらってるきんこん館さんの書評を読んでからなのです。だから「王国」に「掏摸」の登場人物「木崎」が出てくるのともう一人の「あの人」が出てくるのも知ってて、私にとっては出てきたことよりも、この作品は“続編であの話よりあとの出来事”なのか“シリーズものであの話よりまえの出来事”なのかが重要でした。それによって違うからね。で、おーそうなのかーって思う楽しみがあった。なのでこの作品は掏摸とセットで楽しむ分には良い作品です。掏摸が気に入ってたので楽しめました。単体作品としてはちょっと弱いですね。なんとなくピンチになっても緊迫感が無い。どうなっちゃうの? という不安感を煽るのが弱い気がする。掏摸がそういうハラハラした作品だったので姉妹作品にもそれを求めてしまうと物足りなかったです。
娼婦をモチーフとしてるのなら主人公はもっと擦れてたほうが良いと思うのですよ。なんでこんな純粋設定にしてしまったのかな。そのせいか20代後半と思われる設定なのに女子高生に見えてくるんですわ。だからまぁそれに翻弄されちゃう男どもがロリコンに見えてくるというね。
あとは女目線で見たときの矛盾。親友の子どもに対して“母性”を抱いたなら、そのあとの男に対する“母性”の欠如に納得がいかない。
少女のような娼婦に夢中になって騙されまくる男たちを描くのは巧いのに、主人公が娼婦で一人称視点だから心情描写に「いち女」として共感出来ない矛盾があって入り込めないんですよね。けど、一人称じゃないと掏摸とセット感は薄れるからまぁ仕方ないのかな。男性作家さんしかも小説家としてはまだ若い(アタシのひとつ歳上か)のにやたらと女性視点描写が巧いと別な意味で、えー? ってなるし。
展開やト書き、台詞まわしは掏摸と対になっててそれにはニヤニヤ出来ました。中村文則さん本人はどちらから読んでもどちらかだけ読んでも楽しめるものをとあとがきに書いてらしたけど掏摸から読むのがオススメ。
私は今、きっと「あの人」とこうなる、みたいな妄想で余韻を楽しんでます。