Pー47N型は、課題であった航続距離を延ばす為主翼内燃料タンクを増やした新設計翼、ドーサルフィン等が採用され、沖縄(伊江島)から九州に飛来可能となりました。

Pー47Nに注目した理由;

紫電改部隊である343空の実戦を描いた「源田の剣」の中に、伊江島から飛来したPー47Nと交戦した三回分の記録が残されています。

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1回目;1945年5月28日。第318戦闘機集団、第19戦闘機飛行隊の10機 対

 343空戦闘701/407混成計20機(鷲淵大尉)と戦闘301の6機が交戦。

 343空側は計5機損失。米軍Pー47Nは損失無し。

 最初の接触時は、701/407の紫電改側が高度優位の状況で突入するも、強大な馬力を持つPー47Nに高高度まで釣り上げられた形となり、気付いたときには、卓越した上昇力と高高度性能によって既にPー47N側が高度の優位を獲得していた。それでも紫電改は劣位から果敢に敵機に食らいついて行った。相手がそれまで戦った海軍機(F6F、F4U)であれば互角に戦える問題ないシチュエーションだったという。

2回目;1945年6月10日、米軍第318戦闘機集団第333戦闘飛行隊/第19戦闘飛行隊と戦闘701が交戦し、紫電改1機損失。

3回目;1945年8月8日、米軍はBー29 245機にて八幡製鉄所を爆撃。伊江島から第318、第413、第507戦闘機集団合わせ約100機が護衛。更に第348戦闘機集団のPー51 24機も参加。

これに戦闘407の紫電改24機が応戦し、7機損失。

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343空の紫電改は、米海軍機とはほぼ互角に戦いましたが、陸軍機Pー47Nには歯が立たず一機も撃墜できなかったんですね。そんな凄いN型をどうしても作ってみたくなりました。

 

現在入手可能な1/48キットはアカデミーとレベルモノグラム。どちらも古く、細かいプロポーションに難があるそうですが、今年初め再販されたアカデミーをもとに、Eduardの D型用レジン、エッチングを取り入れ形にしてみようと思います。

Eduardのレジンコクピット、プロペラ、車輪。エッチング、それにキャノピーマスク。