「以和為貴」。和をもって貴しとなす。聖徳太子が制定した日本初の憲法、17条憲法の第1項の文言である。「(さか)らうこと無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし・・・」と続く。聖徳太子は当時の混乱している日本の状況を、儒教や仏教によって平定しようと考えたのである。

誰もが納得するこの「和を以て貴しとなす」に警告を発する経営学者がある。ピーダー・ドラッカーの名著「現代の経営」を監訳した野田一夫先生だ。私の恩師でもある野田先生は「妥協」を「和」履き違えてふるまう人が多いことから敢えて戒めるのである。

「和」が、妥協や迎合ではなく率直に意見を交わした末の「一致」を意味することは重要だ。一致に至りえないときに起こったのが戦争だから、歴史は如何に「和」が足りなかったことを示していると言えよう。「忤らうこと無き」とは争うなという意味。悟れる者が少なく、たむろして派閥を作ってたむろする人たちが多いだけに、「和」の実現は容易ではない。だから仏教の教えを学べ、「仏教でしか曲がった心を正すことはできない」と第2条で述べているのだ。

「和」を経営理念や方針に掲げる会社は多い。和がコミュニケーションの大前提だからだ。日本の企業では「能力が高い人より人柄の良い人」を選ぶのも「和」によって組織力強化を目指すからだ。いくら腕が良くても一匹狼は嫌われる。個人のどんな力より調和した組織の力が勝っていることを経営者は皆、知っている。

私も経営コンサルティングの現場で「和」を大切にしてきた一人として、「経営の改善は人の改善、人の改善は人の心の改善」を指針にしてきた。「人の心」とは「人間性」である。知識や技能も大切だが、人間性を高めることを中心に置いて和の経営を実現したい。