徳の高さを点数で表示できたらどんなに面白いだろうか。「あの人の徳は500点」「彼の徳は2,500点」など。徳は「他に与えた喜びの天への貯金」だから金額で表示できたら分かりやすい。「もう徳が400円しか残ってない。どうしよう!!」とか。今回から数回に分けて徳を計算する試みを考えてみる。

 まず、広瀬淡窓(たんそう)「万善簿」から。

広瀬淡窓は天明2年、大分県生まれの江戸時代儒学者である。少年の頃より聡明で16歳の頃に筑前国亀井塾に学ぶが大病を患い19歳の暮れに退塾し帰郷した。病気がちであることを理由に家業を継ぐのを諦めて弟に店を任せ学者・教育者の道を選び私塾を開く。これが後に咸宜園(かんぎえん)に発展した。咸宜園は淡窓の死後、明治30年まで存続、運営され、塾生は日本各地から集まり、入門者は延べ4,000人を超える日本最大級の私塾となったというから凄い影響力だ。 ちなみに「咸宜」は「ことごとくよろし(みんな、いい)」の意味で、学問の種類、塾生の身分や個性を区別せず「みんな、いい」と肯定する思想を表したという。

 この淡窓が晩年まで手帳に記録したのが万善簿(まんぜんぼ)。これは、良いことをしたら白丸を1つつけ、食べすぎなどの悪いことをしたら1つ黒丸をつけていき、白〇から黒●の数を引いたものが1万になるように目指すもの。1度目は54歳から付け始め67歳に達成した。1万を13年間(4745日)で割ると12.1。毎日2つの白〇が残った勘定だ。淡窓は『悪さをした猫を叩いた」に黒丸3つを付けた』という記録も残っているようで、対象は人だけではなかったことが分かる。2度目は万善を目指して継続していたが73歳の半ばで記録が途絶えた。享年73歳。

 淡窓の万善簿は、人間は正しいこと、善いことをすればから報われるとする「応報論」や「敬天思想」がベースにあったと思われる。白〇を「他に与えた天への貯金」と考えると良く分かる。