コロナ禍の直前期、
2019年12月、EC療法が始まり、
首都圏に、一人暮らし( ̄ー ̄)
親族から、
『帰って来い』と言われたものの、
あまりの病状の進みように、
とても、詳しい病状は言えず、
帰ったら、
治療中に毒親のやることに、巻き込まれ、
確実に😇になると。
とにかく、知られたくない(  ̄ー ̄)
なんとか、人様に言える状態になるまでは。
当時は、
まだ、職業病的な思考回路がのこっており、
無意識に課題分析(・ω・)
定期的な見守り、交流。
不安の解消を担えるのは…
とにかく、がんのことは、知られたくない。
でも、がんについての悩みは大きい。
ただ一人だけ定期的な見守りをお願いした友人も、
がんに関しての話は、
無理だし、荷が思い。
相談センターは、選択肢になかった。
それで、
アピアランスケアを、やっている会社の代表者の方に話をきいてもらうことにした。
たくさんの乳がん患者のお世話をされてきている。
帽子買ったついでに話したり。
最初の頃の記事にかきましたが、
当時は、
『正常細胞は立ち上がってくる、がん細胞は弱い』という話に救われた。
あと、
『がん細胞のことを悪く言わないほうがいい』
(細胞を擬人化して考えてみれば解釈できる)
非科学的な話。
もちろん、相談センターで患者に言ったら、
取り方次第では苦情になりかねない。
その点、
民間(インフォーマル)は、話しの内容は
フリー。
私は、だてに20年もがん患者の支援を
してない、と思ったのよね。
いろんな患者さんみてる。
私の中にもともと、
『だてに~してない』という思考回路があったのもある。
だから、
最初から今まで、
がん細胞のことを悪く言ったことはないんです。
なんてたって
病院に行くのが遅れたし、
それは、
自分を大切にしていなかった証拠だな、と。
がん細胞は、ブレーキが効かないで
増えていく細胞だから、
止まんなーい😢となってた。
振り返れば、
とにかく、必死でした。
同時期に、
世の中はコロナ禍になり、
不安になったり、孤独になったりは、
誰しもとなって。
自分のやってきたことは、
止まってしまったけど、
世の中も止まった。
身近にいて支えてくれる人がいないことは、
よくあることになり、
恵まれてない状態でもなくなった。
つづく
お付き合いありがとうございます。