8月15日です。

60年前、日本はアメリカに負け、この日から占領されました。
アメリカの占領政策に、日本国民は、どんどん洗脳されて行き、
この戦争を戦い、日本の民族の行方を少しでもよく・・と
命を捧げてくれた、246万6532の英霊の魂に
感謝することを忘れさせられました。

靖国に祀られなくとも、敗戦後にさえ、日本の心は死んで守るしかないと
自決した人。

死んでいった部下たちへ、命で答えた人もたくさんいます。

そうまで、戦前の日本人は、家族、故郷、伝統、歴史、
つまり、日本に対して、誇りと愛を持っていたのです。

なのに、それこそを恐れたアメリカは、
日本人の精神性の解体を図ったのです。

「戦争犯罪前科一犯」を日本人の潜在意識に叩き込め。

これが、占領後に日本人に施された「WAR GILT INFORMATION PROGRAM」

今の日本人で、この洗脳を逃れている人はほとんどいません。
洗脳された親は子を洗脳し、その子は孫を洗脳していくのですから・・。



今年は、戦後60年。

少しづつ、真の日本の歴史を取り戻していく波が生まれています。

私は、数年前から、日本が行った第一次、第二次世界大戦のことを
学びました。
そして、祖父や祖母から、いろいろな戦時のことを知りました。

そして、アメリカ、韓国、中国の言う
「日本は侵略を謝罪せよ。」の言葉は聞く必要ないことが
わかったのです。

私たちは、あの戦争を戦った祖父や祖母を、誇ってもいいのです。

戦争は人殺しじゃないか?!などという、
歴史や人間の真実を知らない、無知な偽善者のたわ言に
惑わされない芯のある知識をもちたい。



8月15日は、この国を守って託してくれた246万6532柱の
魂に感謝を捧げなければ。

それは、自分を育んでくれた世界へ感謝すること。

自分を見直し、やさしくなれるよう磨くこと。

自分が歩いてる世界の下に246万6532人もの死が
埋まってると思うと、恥ずかしくないよう、
しっかり生きようと思える。

日ごろの悩みも小さいものと思える。

一番、暑い13時ごろに着いた靖国神社は、
もう、すごい人でした。



一体、どれだけの日本人が、この日に自分たちを守ってくれた英霊に、
感謝と鎮魂の思いを捧げに来るのかと、
生意気にも少し不安だったのですが、
ほんとに・・・すごい人でした・・・。

でも、すごいことに感動するのではなく、
その人たちの中には、車椅子や杖をついて並んでいるお年寄りも
たくさんいて、若い人も中年も人もいることに感動しました。

ああ、世代を超えて、伝わってるのかなと・・・。

日差しが強くて、辛くも感じましたが、あの戦争を戦った英霊の前で、
暑いなどとバテられるわけもなく、シャンとしようと
気合いを入れました。
列の中には、杖をついたお年寄りも
たくさんいらっしゃったのですもの。

汗だくになりましたが、ときおり、英霊のご加護のように、
涼しい風が吹いてくれて、とても気持ちよかったです。



ほんの少し日が影って、「ほ~っ」と息をついたら、
隣のおじいちゃんと目があったので、笑いかけたら、
話かけてくださいました。

おじいちゃんは、85才、毎月、お参りにいらっしゃってるそうです。

暑いのに、笑ってらっしゃって、腰も曲がっていなくて、
シャンとしてらっしゃいました。
元軍人・歩兵の方は、農民の方が多かったので、足腰が非常に強かったと
聞いておりましたが、まさにその通り。

服の背中が汗でぐっしょりになりながらも、
無事に本殿に参ることができました。



本殿には、たくさんのお花とお水がギッシリとありました。

一つ向こうの部屋に、昇殿参拝されている方々が・・・。

一礼二拍手二礼。

日本を守ってくださってありがとうございます。
託された心を忘れている日本人ばかりでごめんなさい。
少しでも、みなさんの想いを誰かに伝えられるように、
がんばります。
命をかけて戦ってくださったみなさんに、今からお願いすることは
ありません。
どうぞ、安らかにお眠りください。

一緒に並んでいた、おじいちゃんも参拝をすませまして、
せっかくお話しも弾んだので、
一緒にお茶でも飲んで帰りましょうということになりました。

私があまりに汗をかいていたので、
違うおじいちゃんに心配されたりもしましたが(笑)


おじいちゃんは、85歳。
「み~んな死んだのに、生きて帰ってこれただけで
運がよかったんだな。私は・・。」

そんな切り出しで、喫茶店に向かう道を歩き始めました。

おじいちゃんは、中国の揚子江のずっと奥で戦っていた
歩兵さんだそうです。

日露戦争で有名な旅順にも行かれて、
そこから見た夕日は、大きくてすごかったとか。

終戦後、復員してきたおじいちゃんは、
奥さんが10年前に亡くなられて、
今は静岡に住んでいらっしゃるそうです。

市ヶ谷の町を歩いて喫茶店へ向かっている途中で、
戦後すぐは焼け野原で、な~んにもないから、
ここから、大塚のほうまで見渡せたと言っていました。

「石灯籠とかだけが焼け残っているんだよなあ。」

「アメリカ軍の司令部のある道を、何回通ったか。」

おじいちゃんは、戦後は職業案内所で働き、なんと、私の住んでいる町にも
何回もいらっしゃっているそうです。
初めてお会いするのに、私の住んでいる町の話が普通に通じて、

「あそこに学校があって、あの坂を上がると病院で・・。」

私の街の前前市長を職安で紹介したのも、おじいちゃんだったそうです!

ほんと、こういう出会いがあるから、
縁って不思議・・・。

うちの近くの国本学園で、合気道を教えてらしたそうです。

おじいちゃんとは、たくさんお話ししましたが、
印象的だったのが、

「戦後はなあ・・。食うもんなくてさ。
イモ一欠けとかね。(指で五センチくらいの丸を作って)」

「それで、せいいっぱいがんばってがんばって・・・。
四年くらい経つと・・すこぉし良くなるのよ。

それがいいんだ♪」

「なんせ、ないんだからさ。  それでいいんだなあ。満たされんだよ。」

「それが高度成長だっけ?きゅ~に良くなっちゃってさ。
金だけいっぱいになっちゃって・・・。

おどおどしちゃってさ。父親がおどおどしてるから、子供もおどおど
しちゃうんだなあ。」(笑)


おじいちゃんは、新聞もニュースもきちんとチェックしてらしたので、
今の小泉内閣や、靖国参拝問題についても、お話しすることができて、
ほんとに、尊敬してしまいました。

衆議院解散で選挙が行われますが、
絶対に小泉には票を入れない。
と宣言させていただきました。

よりにもよって、終戦のこの日に!
英霊に感謝し、追悼するこの日に!

靖国を公式参拝するどころか、
「アジアへの侵略に対する痛切なおわび」などという談話を発表しやがった。

よりによってこの日に!許せない!

おじいちゃんはすぐさま
「小泉さんは、村山談話を継承してるからなあ。」と
おっしゃったので、ああ、やはり、博識だなあと思いました。

ちゃんと日本を愛していらっしゃる。

時代背景や、必然性、宗教性、あのときの世界情勢を
勉強しなおしてから、出直してこ~い小泉純一郎!

自衛隊の海外派遣についても、

「無理やり行かされてかわいそうに。

死んだら、かわいそうに。

襲われて敵を殺してもかわいそうに。

今の自衛隊はかわいそうしか言ってもらえない。

それが、かわいそうだなあ。

こんなら昔のほうが良かったか?

ばんざーい!って送ってねえ☆」

「総司令官がわかってねえから、自衛隊員も迷うんだ。
覚悟しないで入っちゃったヤツもいるんだろ?

国のために行ってきます!って覚悟ある人もいるのに、
かわいそうって言われるしなあ。」


ほんと、おじいちゃんのお話しは、実になりすぎて、
もったいないくらい。

だから、忘れないように、一生懸命ブログに書いているのですけど。

もちろん、可愛い話もしましたよ♪

おじいちゃんには、30になる孫がいて、
小学校一年生の、ひ孫さんがいらっしゃるそうです。

可愛いでしょ~☆と言ったら、
「いや~・・ひ孫はねえ・・・。」
なんておっしゃる。

可愛くないですかあ?と聞きましたら、
ひ孫さんには、おじいちゃんが別にいるので、ひいじいちゃんは
どう接していいかわからないそうです(笑)

そかあ(笑)

私は、ひいおじいちゃんも、おじいちゃんみたいな意識で、
お孫さんは可愛いだろうと思ったのですが、
ひいおじいちゃんにしてみれば、ひ孫にはじいちゃんがいて、
さらに大じいちゃんの立場なので、どうしていいからわからんので、
居心地悪いらしい(笑)

可愛らしいですね(笑)

そんな風に、たくさんのお話しをして、もうそろそろということで、
お別れしました。

市ヶ谷の駅までご一緒して・・・。

おじいちゃんは、来月も16日に靖国に参られるそうです。

私も、日を改めて、遊就館に行こうと思います。
あそこに展示されてる、軍人さんの遺書を見ると、
心底、気合いが入るんだ。

力をもらう。

しっかり生きないとね。

ほんとに、大谷のおじいちゃん、
有意義な時間をありがとうございました。