今回は、若き頃イスラエルで聖書とヘブライ文学を学び、日本帰国後ヘブライ語をずっと教えてこられ、今またエルサレムに滞在しておられるS.K.さんをご紹介。

 

1.イスラエル留学のキッカケは?

私はクリスチャンの家に生まれ、小さいときから聖書を読んでいました。

高校三年生のころ私は音楽の勉強をしていたのですが、あるラジオ番組で、突然ヘブライ語聖書朗読が流れてきたのです。ユダヤ音楽の番組だったのですが、そのメロディーを聞いた瞬間、意味はもちろん全くわからなかったのですが、体中に電流が走ったように感激して、「僕はこれを学ぶんだ!」と思ったのです。その一年後には十九歳でイスラエルにいました。

 

2.イスラエルでは大学に行ったと聞いています。何を勉強しましたか?

聖書とヘブライ文学です。

ヘブライ文学は三つの時代に分かれていて、聖書の注解が中心のラビ文学時代、中世の詩歌、そして現代ヘブライ文学です。聖書時代も合わせると、ユダヤ人の歴史の中で書かれた全ての時代のヘブライ語を読んだことになります。

ヘブライ語がとにかく好きで、勉強は苦しくもありましたが、楽しかったですね。ちなみに留学のきっかけになった聖書の節をつけての朗読は、独学で学びました。

 

(ヘブライ大学の学生たち 2022年)

 

3.留学中びっくりした事、面白いと感じたことは?

私は大学に行く前に、一年間世界じゅうから来たユダヤ人たちと一緒に、キブツのヘブライ語学校で学びましたが、そのときに初めて「日本人」であるということを強く意識しました。

特に「日本人の常識は、けっこうすごい」ということに気が付きました。

例えば自分の受け持った仕事場を、言われなくても最後にキレイにして帰るということは、日本人なら常識です。でもキブツでそれをやると、驚かれるのです。私は自分では仕事が雑な方だと思っていますが、どんな仕事をしても「さすが日本人、丁寧だ」と驚かれるのですね。キブツの人から「イスラエルに10万人くらい日本人が移住してくれたら、国がすごく良くなる」と言われました。キブツ時代は、日本発見の時でもありましたね。

大学に行ってからは、イスラエル人の発想のあまりの大胆さに驚きました。

大学のカフェテリアに座っていると、知らない学生に話かけられることがありました。その内容が、

「私は日本語は知らないが、漢字をコンピューターで変換する方法を思いついた。これを日本のコンピューター会社に売り込みたい」(当時はまだパソコンなど普及していない1980年代)とか、「イスラエルの海岸線に絶対に鉄道が必要だ。日本の三菱に鉄道を敷いてくれるよう手紙を書きたいから、手伝ってくれ」とか、大真面目に話しかけてくるのです。

「日本の大企業が、海外の一学生の話など聞くわけないでしょ」と、最初は彼らの非常識にあきれていた自分ですが、後々「常識に縛られて何も新しい発想ができないのは、自分の方じゃないか」と気が付きました。

あの、あきれるほどの発想の大胆さ、そして道が開かれるまで何百回でもあきらめずに挑戦するエネルギーが、スタートアップ大国を作っているのだと思います。

 

4.日本帰国後は何をしておられましたか?

帰国後東京をはじめ、日本の各地でヘブライ語講座を作って、長年ヘブライ語を教えていました。

 

 

そのうち「ヘブライ語を学びたいけどその手段がない、という人が日本各地にたくさんいる」ということに気が付いて、数年かけてヘブライ語通信講座の教材を作り、通信講座も始めました。その講座で学んだ人はもう数百人になります。

 

(通信講座の教材)

 

5.現在は何をしておられますか?日本イスラエル関係の今後に期待することは?

二年前から再びイスラエルに住んで、日本人留学生のお世話や、イスラエルと日本の友好を促進する法人の代表をしています。また、コロナの状況下でも、イスラエルをご紹介できればと思い、テマサトラベルさんと組んでオンラインツアーを行っています。

日本とイスラエルは、世界で最も「手を組んだらすばらしい効果が期待できる」二国間関係じゃないかと、ずっと思っています。お互いの優れたところと、足りないところが見事に補完し合え、1+1が、5にも10にも大きくなれる関係じゃないかと思うのです。

また日本人の持つ和の精神は、パレスチナ問題の解決にも大きく貢献できるのではないかと思っています。早く飛行の直行便が就航して、イスラエルと日本の往来がどんどんと大きくなっていくことを願っています。

 

(イスラエルからの講師を通訳する)