2021年特別企画として「対馬の旅3日間」を企画致しました。
長崎県の対馬は、九州と朝鮮半島のほぼ中間にあります。新潟の佐渡島、鹿児島の奄美大島についで大きな島です。朝鮮半島までの距離はわずか50キロ。南北に細長く、平地が少なく山と海に挟まれている、という印象です。
この島に神話の時代から現在に至るまでの日本の歴史がたっぷりと詰まっています。
現地を訪れたことを交えながら、2回にわたって対馬の魅力をお伝え致します。
対馬ヤマネコ空港に到着後の交通機関は、バスかタクシーかレンタカー。鉄道はありません。
バスに乗って出発し、しばらくすると赤い橋が見えてきます。日露戦争のときに海軍は、水雷艇を通すために掘削して運河を作りました。現在そこに架けられているのが万関橋です。橋を渡り、一路、北端の韓国展望台を目指します。
この韓国展望所は、韓国ソウルのパゴタ公園にある多目的施設を模して造られていて、ここから気象条件がよければ、韓国の街並みがうっすらと見えるとのこと。残念ながら私が訪れたときには小雨が降っていて何も見えませんでした。展望所の中には釜山の夜景の写真などが展示されていて、これを見ながら、まさに「国境の島」と呼ばれていることに納得。
春にはヒトツバタゴの白い花で、この辺りの山に雪が降り積もったかのように真っ白くなるそうです。春にぜひ訪れてみたいと思いました。
展望所からバスで10分ほど東に行った西泊(にしどまり)には、日露友好の丘があります。日露戦争の日本海海戦で、バルチック艦隊と戦った戦没者を慰霊する碑と両国の友好を示す大きなレリーフが建っています。レリーフには、戦いで負傷したロシアの提督が佐世保の病院に入院し、見舞いに行かれた東郷平八郎元帥とロシア提督が手を握り合っている場面が描かれています。
眼下に広がる青い海を見つめながら、110数年前にこの海に両国の艦隊が激戦を繰り広げたことや、戦っていた相手にも惜しみなくお世話をした日本人の心に触れる思いがしました。
この日は比田勝(ひたかつ)のホテルに一泊。周りの田舎の景色とちょっと雰囲気が違う、高層の近代的なホテルです。ここから見る朝日は本当におすすめ。対馬に2泊する弊社のツアーならではのお楽しみです。これもお天気次第ですが。
翌日は南下していきます。バスで一時間半ほど対馬の真ん中あたりの二位(にい)にある和多都美(わたつみ)神社に到着。
時代は一気に遡って神話の世界へ。海幸彦と山幸彦の兄弟のお話をご存じの方も多いかと思います。
ここは、兄から借りた釣り針を無くして困っていた山幸彦が豊玉姫に出会った、と言われるところです。豊玉姫が住む竜宮城がここにあり、釣り針を探してくれました。二人は結婚して、孫が神武天皇です。
和多都美神社の拝殿前には5つの鳥居が海に向かって一直線に並び、その中の2つは海中に立っています。大潮の満潮時には拝殿近くまで海面が上昇して、まさに竜宮城を思わせる神秘的な雰囲気です。
西泊地区には、撃沈されたロシアの軍艦からボートで脱出したロシア兵163人が上陸しました。住民たちは敵兵にも関わらず、食料や衣服を持ちより、傷の手当や宿の提供など手厚くお世話をしました。そして翌日には日本軍の御用船で移送された、という話が語り継がれています。また毎年5月には日露両国関係者で慰霊祭も行われています。
浅茅(あそう)湾ではクルージングもあり、リアス式海岸を楽しむことができます。海から山々を見上げると金田(かたのき)城跡も見えてきます。
天智天皇の時代、(663年)日本(倭)と同盟を結んでいた朝鮮半島の百済が、高句麗と新羅に滅ぼされてしまいます。援軍を送った日本の兵も戦いに敗れ、命を落としたり捕虜になったりしました。その後、天智天皇は国防のため九州の各地に城を築き、防人を置きました。その一つが金田城です。
対馬では原生林が多く、人がほとんど入らないため城の石垣などが当時のまま残っています。防人たちが日本を守っていた気概と、故郷を遠く離れ家族を慕う切々とした思いが伝わってくるようです。
防人の歌をご紹介します。
天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ
(天地の神々のどちらの神に祈ったらいとしい母にまた言葉をかけられようか)
対馬は歴史の宝庫です。現地をめぐっていると、はるか昔の出来事が、現実にあったこととして感じることができます。
次回はキリシタン大名、小西行長の娘マリアと対馬藩主、宋義智(そうよしとし)のお話などをお届けします。