現在イスラエルに留学中の日本人、帰国間もない方を中心に今までご紹介してきましたが、今回は帰国後すでに40年近く経ちながらも、若いときに留学してイスラエルで多大の影響を受け、今に至るまでイスラエルと関係を絶やさずに過ごしてこられたM.I.さんをご紹介いたします。

1.    なぜイスラエルへ行ったのでしょうか?
私がイスラエルに行きたいと思ったのはもう50年以上前の事です。当時、日本中が安保闘争のまっ只中で、東京の主な大学は学生運動に占拠され入学試験もできない有様でした。日本の大学の現状に失望した私は、以前イスラエルに留学していた先輩から聞いていた、建国間もないイスラエルの開拓者精神に触れてみたくてイスラエル留学を志しました。

2.    イスラエルで何を学びましたか?、どんなことをしていましたか?
当時イスラエルは周囲を敵国に囲まれており、国民皆兵でしたから若者たちも自分で国を守ると言う愛国心があり、建国の意気に燃えていました。特に、3年間の兵役を終えて帰ってきた若者達の変貌ぶりには目を見張りました。考え方も行動もすっかり大人になっているのを見て、恵まれた環境でヌクヌクと育ってきた自分と比較して、恥ずかしい気持ちになった事を覚えています。

(キブツにて)
初めキブツで半日労働をしながら、あと半日は海外からの帰還者対象の語学学校でヘブライ語を教わりました。最初のキブツでは果樹園の水遣りの仕事、次のキブツでは、ガリラヤ湖で漁師の仕事もしました。
もっと長くイスラエルに滞在したいと思い、ヘブライ大学に行きました。家からの仕送りだけでは足りないので、アルバイトとして観光ガイドや通訳の仕事をしました。その流れで観光省の観光ガイド養成学校で学ぶことになり、ガイドの国家ライセンスも取りました。ライセンスを持つ日本人ガイド第1号です。
その体験の中から、将来、日本とイスラエルの架け橋となる様な仕事をしたいとの夢が湧かされました。

3.    帰国後は何をしましたか?今は何をしていますか?
幸いにも、帰国後ずっとイスラエルと関連のある仕事に携わってきました。はじめはイスラエル旅行のホテルやバスなどを手配する会社の日本事務所で、日本の旅行会社にイスラエルツアーの企画を販売する仕事をしていました。またエルアル・イスラエル航空の日本総代理店で働き、テルアビブに直行のチャーター便を飛ばしたりしました。
その後は「ロケット博士」として知られる、糸川英夫先生が始められた日本テクニオン協会(テクニオンは世界的に有名なイスラエルの工科大学)の事務局で、イスラエルの大学や研究機関を応援する仕事にも携わりました。糸川先生の企画される産業視察団のお供をして、何度もイスラエルの研究機関や企業を訪ねましたが、その頃はアラブボイコットが激しく、イスラエルを訪問する企業は稀で、皆さんお忍びで参加されていましたね。最近のイスラエルと日本の急速に拡大した友好関係が夢のようです。
その後、その日本テクニオン協会のツアーで知り合ったある貿易商社の社長のもとでお世話になることになり、今は責任者をしています。バスソルトとして有名な死海の塩や、プールの掃除ロボットなどを輸入するイスラエルの専門商社です。

4.    日本イスラエル親善協会の理事をされているとお聞きしました。
イスラエルから帰国してすぐ、イスラエルのために何かできないかなと思って日本イスラエル親善協会に参加するようになりました。現在は協会の様々なイベントなどを企画する責任者として、代表理事副会長を仰せつかっています。イスラエル大使館の職員の方やお仕事で日本に滞在しているイスラエルの方たちをお誘いしてお花見や、観光地を巡るバスツアーの企画など楽しい企画を考えています。また、独立記念の夕べやハヌカの祭りなどイスラエルの歴史や伝統文化に触れる企画も行っています。

(日本に住むイスラエル人とのバスツアーの様子)
最近ではコロナ禍のため人が集まるイベントは難しいので、学生部会の若い人たちがZOOMを使ってイスラエルの大学で日本語を学んでいる学生たちと日本語やヘブライ語で会話する「しゃべりバー」というのを定期的に開催しています。今後はやはりZOOM のウエビナーを利用してリモートの講演会などを積極的に開催していきたいと計画しています。3月には日本文化に造詣の深いヘブライ大学名誉教授のシロニー先生の講演会を企画しています。
イスラエルに旅された方やイスラエルに関心を持つ多くの方にぜひご参加いただき、日本とイスラエルの友好関係がさらに深い、強力なものとなればこれほど嬉しいことはありません。