今回は筆者の友人であり、イスラエルのハイファ大学中東史学科で中東学を学ばれたT・Hさんにインタビューを行いました。

 

イスラエル留学を決めた理由は何ですか?

 父がイスラエル留学を経験していました。イスラエルで人生が大きく変わった、という話を聞いていたり、祖父がキリスト教新聞の設立に携わっていたりと、イスラエルという国が非常に身近にある家庭で育ちました。私が尊敬している先輩の方も、イスラエル留学を経験していて、「イスラエル留学に行きたいな・・・。」という思いが次第に強くなっていきました。

その後、日本の大学受験に失敗し、進路に迷っていると、ある知人から、「イスラエルに行ったら?」と勧められました。その声に背中を押されるように、イスラエル留学へ行きました。

 

●中東学を学ぼうと思ったきっかけは何ですか?

 イスラエルの留学中にキブツの工場で働いて、そこでアラブ人と交流する機会がありました。そのアラブ人と仲良くなっていく中で、”なぜイスラエルは多くの人種や宗教が共存できているのか”を知りたくなりました。そこから、「イスラエルの大学に行って中東学を学びたい」と思ったことがきっかけとなりました。

 

(写真:ハイファ大学の写真)

 

ハイファ大学での環境はどうでしたか?また、印象に残っている授業などがあれば教えてください。

 ハイファ大学での学びは、今まで私が経験してきたものと全く違う環境でした。ハイファ大学にはアラブ系が3割、他にロシア系やエチオピア系の留学生がたくさんいました。それだけ出身国が多いと、価値観にもいろいろな違いがありました。今まで自分が持っていた先入観を捨て、他の価値観を理解することによって色々と学ぶことがありました。

 

 私と一緒に授業を受けていた学生の中には、イスラエル国防軍の幹部候補生達がいました。当時私は24歳。その学生達は18〜20歳ほどでしたが、もちろん優秀で授業の飲み込みが早く、私にはついていけない苦しい状況が続きました。

そのような中でしたが、彼らは自分が国のために何ができるかを常に考え、授業を受けていた姿がとても印象に残っています。常に自分が当事者だと考え、どう自分は行動するか、どう自分がリーダーシップを取るか、と責任感を感じながら授業を受けていたのです。

それを見て、「自分は甘えていた。都合が悪くなると環境のせいにしていたな」と自分の考えが変えられました。それは本当に大きな刺激でした。

 

(写真:イスラエルの友人との写真)

 

イスラエル留学中の嬉しかったことは何ですか?

 大学で知り合い仲良くなった友人に、親族として結婚式に招待してもらったことです。式場では友人席ではなく、親族席に座れた時の感動は、言葉にならなかったです。せっかく招待してもらったので、人生で初めて一張羅を買ったぐらいです(笑)。その友人には、度々家に招いてもらいました。日本人の私に対して家族のように接してくれたのは忘れられない思い出です。

 

 他には、帰国する前がちょうどイスラエル建国70周年でしたので、テルアビブにある独立宣言の家で行われた記念式典に参加しました。そこで多くの方と起立してイスラエルの国歌(ハティクバー)を歌っていると、涙が出てきました。留学前には感じたことがない感覚で、私は日本人ですが、留学をしている間にイスラエルの人が持っている国に対する思いに、心から共感できたと感じた瞬間でした。

 

(写真:独立宣言イベントの雰囲気)

 

今後の抱負

 留学中、国を失って2000年ぶりにイスラエルが建国されたこと、多くの戦いを経ながら70年続いたことなど、多くを学びました。

 今私はある中小企業に勤めています。これからの50年で私の会社は生き残れるかどうかの瀬戸際にあります。現実には失敗も多くあり、上司からは「こんな若造が何を言っているんだ!」と思われることもあります。けれども、イスラエルでの学びや経験を通して挑戦していきたいです!

 

 本日はインタビューにご協力頂き誠にありがとうございました!2時間以上にも及ぶインタビューはイスラエルへの愛で溢れていました。社会で奮闘しているT・Hさん、これからも頑張ってください!!