2018年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたことは、ご存じの方も多いと思います。
安土桃山時代、キリスト教が急速に信者を増やしていった時代、4人の少年を中心とした天正遣欧少年使節団が遣わされました。1582年2月のことでした。

その中の一人中浦ジュリアンが、実はテマサトラベルと密接な関係があるのです。

(長崎空港ほど近くにある、天正遣欧使節顕彰の像。一番右が中浦ジュリアン)

 

 中浦ジュリアン(1568?~1633)は、現在の長崎県西海市にある中浦という小さな村の出身で、洗礼名がジュリアン、実名は小佐々甚吾といいました。
小佐々一族はもともと水軍としてこの付近で勢力を拡大するようになったと言われています。甚吾は村でも比較的裕福な家に育ち、キリスト教に触れて洗礼を受けました。
のちに有馬のセミナリヨ(司祭・修道士育成のための初等教育機関)で学ぶうちに成績優秀で聡明だったため教師たちの目に留まり、使節団一向に加えられたのです。
使節団は船出の際には歓呼の声で送り出され、マカオ、インドのゴアなどを経由して2年半かけてポルトガルのリスボンに到着。
ポルトガルやスペインの各地をまわり、教皇グレゴリウス13世にも謁見して8年後に帰国しました。
ところが、帰ってきた日本ではすでに豊臣秀吉のバテレン追放令が発布され、キリシタンへの逆風が吹きはじめていました。
彼はのち司祭となり、1633年64歳で捉えられ長崎・西坂(26聖人の刑場と同じ場所)で殉教するまで、隠れながら棄教することなくキリストを伝えて各地を歩きました。

(長崎県西海市にある中浦ジュリアン記念公園)

 

ところで弊社の創設者・小佐々隆は、同じ長崎県西海市大島の出身。中浦町からすぐ近くの場所です。
東京の一流大学を卒業後、そのままビール会社に就職。クリスチャンだった小佐々は聖地イスラエルへの思いもだしがたく、1970年代後半に「脱サラ」で会社をやめ、国家試験の旅行業務取扱主任者試験に一発で合格し、1979年テマサトラベルをはじめました。

(開業当時のテマサトラベル)

 

 すでにお分かりの方もいらっしゃるかと思いますが、同じ姓と出身地、じつは中浦ジュリアンは小佐々のご先祖に当たるのです。
小佐々の実家は大島のあるお寺で、これもよくある話ですが、一族内にキリシタンがいたところでは、自らそうでないことを証明するため、熱心な仏教徒になることがあるそうです。
弊社の「長崎・五島キリシタンの旅」はすでに20年以上のロングセラーですが、コースを始めたときは全くそんな背景は知らず、日本人として、クリスチャンとして忘れてはならない歴史、として企画していました。
しかし、小佐々がクリスチャンになったこと、テマサトラベルを興したこと、長崎にツアーを組むようになったこと、その全ての背後に中浦ジュリアンの祈りがあったように思えてきます。

(中浦ジュリアン記念公園内にあるジュリアンの像)