ポール・マッカートニーがMy Valentineや Here Today等の作品において、長調ー短調間の転調を「光と陰」の対比を意味作用する音楽言語として用いると同時に、その和声をテクストに関連づけることで、言葉と音楽が相互補完する形で一つの意味内容を表現していることを、当ブログでは度々主張してきた。

 

 本稿では、The Beatles中期の代表曲であり、ポールの作品であるPenny Laneにおいて、長調から短調への転調が人の正常と狂気の二面性を意味作用する音楽言語として用いられていることを試論として述べたい。

 

 Penny Laneの楽式は[A]と[B]からなる二部形式として理解することができる。今回問題にするのは[A]のセクション、すなわち冒頭部である。その和声分析を譜例を示す。 はじめの3小節は Key of BのシンプルなカデンツI-II-V-Iで、4小節目以降は同主調、すなわちKey of Bmに転調する。最後のF#7はKey of BとKey of Bmに共通コードであるが、歌とフルートがDナチュラルを取っているので、F#7までKey of Bmと捉えるのが自然だろう。このように、[A]のセクションは前半の長調、後半の短調が一対となった構造として理解できる。

 

 この構造は音楽的には「主調と同主調の連続」にすぎないが、テクストに関連づけて解釈することで、音楽言語としての意味内容が浮かび上がる。まずはPenny Laneの冒頭テクストの内容を考察しよう。

In Penny Lane there is barber showing photograohs 

of every head he's had the pleasure to know.

And all the people that come and go
stop and say "hello"

quote from Penny Lane (Lennon-McCartney)

 "In Penny Lane there is barber showing photograohs"は「ペニー通りに写真を飾っている床屋さんがある」という意味で、of以下で「飾られた写真」がどんなものであるか説明される。

 

 "photograohs of [every] head"を直訳すると「あらゆる頭の写真」となるが、場所が床屋さん(barber)であることを考慮すると、いろいろな髪型の写真程度に理解するのが妥当だろう。それに後続する”he's had the pleasure to know"が"photograohs of every head"を修飾し「[床屋さんが]知っていることを嬉しがってきたいろんな髪型の写真」となる。

 "pleasure to know"を自然な日本語に訳すのは筆者の英語力では困難だが、飾られた写真が 「お気に入りの髪型」でもなく「流行の髪型」でもなく"he's had"と現在完了の形で、以前からずっと「知っていることを嬉しがってきた」「いろんな」髪型の写真を飾っているというのがポイントである。

 過大解釈である可能性はもちろん否めないが、「床屋さん」は髪型に関する知識コレクターのような人で、カット専門誌はもちろん、あらゆる新聞、雑誌グラビアなどから「頭」の写真を切り抜いて、それをベタベタ店に貼りまくってる、狂人じみた人物像をイメージするのである。

 さて、このテクストを和声進行に重ね合わせて見ると、"know"という第1節でもっとも"strange"な語が歌われた瞬間、調が短調へと転換していることに気がつく。すなわち、Peney Laneにおいて短調は「人の狂気」を表す音楽言語としての機能を有しているのであり、"all the people that come and go"というテクストも、面と向かっては言わないが心の中で「あいつは危ないやつだ」思いながら店の前を通り過ぎる人々の視線をKey of Bmが暗示するかのようである。