「小説を書く」ことと、「小説家になる」ことの違いを考える ネット世界で浸透する小説投稿サイト | 考える道具を考える

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誰でもが小説を書いて投稿できる「小説家になろう」というサイトがある。

「自称小説家の卵?」による投稿サイトだ。

携帯(ケータイ?)小説、オンライン小説‥花盛りの今日、
小説を書くという行為が、比較的身近になったのか、このサイトに投稿されている小説の数は27,860作品あるらしい。凄い数だ。


読者に人気のカテゴリーは、

  架空戦記 らぶえっち 異世界 性転換 コメディ 恋愛 魔王 ファンタジー 学校/学園 
  幼馴染 戦記 魔法 らぶらぶ SF 高校生 転生 メイド 美形 ハッピーエンド 超能力 

などで、この類型化されたテーマに関連した小説が次々と生産され投稿されているわけだ。
多くの小説が、10分以内で読める短編ばかりだが、人気の小説は、短編が連載されている場合も多くあるようだ。


正直、どの小説を読んでよいのやら、判断がつかないので、ランダムに小説のタイトルで面白そうなものを選んで読んでみるのだが、そのほとんどは、残念ながら「おゃっ」と思う作品にはなかなか当たらない。

そこで感じることは、
小説を書く‥ということと、小説家になることとは違うんだな‥ということか?

このサイトは「小説家になる」というサイト名ではあるものの、作品の一つひとつに、「小説家」というもののイメージが感じられないのも事実だ。つまり、小説を書くことは出来ても、小説家になることはできないということ。(投稿された小説が出版される可能性も含んだサイトなのだが‥)


何故なら、堅苦しく言えば、小説とは、物語を創造する内的必然性の強さと、そのテーマを普遍化する努力がなければ、小説家とは言わない‥‥という、私が持っている頑なな思い込みがあるからかもしれない。しかし、

    ‥もしかしたら、現代の小説とは、
     こうした小説の創造に必要な必然性などとは無関係の時限で、
     新しい領域が出来上がっているのかもしれないな‥‥

特定の小説家の個性と創造性が多くの読者に共感を呼ぶという公式とは別の何かが‥

などとも思うのですが‥‥どうなんだろう?