お疲れ様です、田中です。
いつも本社ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先日、仕事の関係で大学教授の方とお会いする機会がありました。
仕事の内容において「〇〇が見れる」という表現がある箇所があり、
「“見れる”ではなく、“見られる”ではないでしょうか?」
とやんわりご指摘をいただきました。
正直なところ、普段は違和感なく使っていた表現だったので、
その一言でハッとさせられました。
いわゆる「ら」抜き言葉、無意識に使っている方も多いのではないでしょうか。
「見られる」「食べられる」といった本来の可能表現から
「ら」を省いた「見れる」「食べれる」。
これは若者言葉というイメージを持たれがちですが、
実は1980年代頃から広く使われ始めたと言われています。
もともと日本語には「受け身」と「可能」が同じ形になる曖昧さがあり、
それを区別しやすくするために「ら」を抜く形が自然発生的に広がった、
という見方もあるようです。
つまり、単なる“崩れ”ではなく、ある意味で合理化とも言えます。
では、この「ら」抜き表現は間違いなのでしょうか。
結論から言うと「場面による」というのが実態に近いと感じます。
日常会話やカジュアルなコミュニケーションでは、
むしろ自然で聞き取りやすいケースも多く、
違和感なく受け入れられているのが現状です。
一方で、ビジネスシーンや文章、公式な場では、
やはり「見られる」「食べられる」といった正しい形が望まれます。
今回のように、相手によっては細かな言葉遣いまで見られている、
ということも改めて実感しました。
言葉は時代とともに変化するものです。
「ら」抜き言葉も、その流れの中のひとつと言えるでしょう。
ただし、変化を理解した上で“使い分ける”ことが大切です。
普段はつい「見れる」と言ってしまいがちですが、
今回のご指摘をきっかけに、場面に応じた言葉選びを
少し意識していきたいと思いました。
些細な違いではありますが、こうした積み重ねが
信頼感や印象に繋がるのも事実です。
言葉の使い方ひとつで、相手に与える印象は大きく変わる。
改めてそんなことを感じた出来事でした。
ではでは〜











