闘いのはじまりは1987年からだった。

フジテレビは日本テレビの「24時間テレビ『愛は地球を救う』」のパロディ及びアンチネーゼが番組の根幹にあり、チャリティーなしでお笑いだけをやる生番組として企画、それが「FNS27時間テレビ」である。

 

始まった年の1987年は「FNSの日」は19.9%、一方の「24時間テレビ」は7.7%と「FNSの日」が圧倒。

その後、1993年まで7連勝していた。

 

しかし、1994年に事件が起きた。

「FNSの日」は当初、1992年から3年連続でビートたけし・逸見政孝メインの「平成教育テレビ」を予定していた。

ところがメインの一人だった逸見が前年12月にがんで死去。その逸見のかわりにたけしの親交の深い明石家さんま(今年まで「FNSの日」では唯一すべての回に出演)・楠田枝里子・所ジョージ(楠田と所は当時、日テレの「世界まる見え!テレビ特捜部」に共演)・ヒロミ(同局のバラエティー番組「ビートたけしのつくり方」で共演)、元フジテレビアナウンサーの有賀さつき(1991年の「FNSの日」では総合司会を経験)・長野智子(局アナ時代・1987年~1990年に出演)・ラサール石井(「平成教育委員会」では優等生回数・第1位を誇り、1997年9月の最終回スペシャルでは最優秀生徒に選定)、それに当時局アナだった中井美穂(「平成教育委員会」では療養で降板になった逸見の代わりに司会・解答者兼任しフリーになった後も1996年9月まで担当、以後、最終回までレギュラー解答者に出演)が輪番司会を務めた。一方の「24時間テレビ」は当時「TVおじゃマンボウ」司会を務めていた中山秀征のほか、酒井法子・牧瀬里穂がメインを務め、マラソンではダチョウ倶楽部の3人が並走しながらマラソンを完走した。その視聴率は「FNSの日」が13.8%・「24時間テレビ」が14.7%と「24時間テレビ」が初勝利を遂げた。

 

1995年は「24時間テレビ」ではSMAPがメインを務め、「FNSの日」が15.1%・「24時間テレビ」が16.9%と「24時間テレビ」が圧倒した。

 

1996年、「FNSの日」はこの年、アトランタ五輪の前週にあたる為、たけし・さんま・所のほか、笑福亭鶴瓶・SMAPなどタレント・系列各局の女子アナ、さらに系列各局の視聴者代表などがスポーツにまつわる対決を展開した。一方の「24時間テレビ」は初代マラソンランナーの間寛平のほか、江角マキコ・瀬戸朝香がメインを務め、マラソンでは赤井英和が東ルート・西ルートのタスキをかけ100kmを挑んだが、片方のルートのランナーの到着時間が遅れた影響で赤井のマラソンスタート時間が遅れ、「フィナーレ」では赤井がゴールしないまま、当初の放送終了時間(夜7:58)まであと10分に迫ったところで、この回の総合司会の1人である徳光和夫が決断。「8時すぎまでやりましょう。」と発言し、後番組の「超・天才たけしの元気が出るテレビ!!」を内容を一部変更した。結果「FNSの日」が14.4%・「24時間テレビ」が14.1%と2年ぶりに「FNSの日」が盛り返した。

 

1997年は「FNSの日」はダウンタウンをメインに起用したが、放送当日の土曜日に台風9号が直撃、予定していたナイターの中継カードが台風で中止など土曜夜~深夜にかけての内容とこの年の通し企画だった「漁船がお台場に」が一部変更する事態に。また、この回は「笑っていいとも!増刊号」がなかった為、前年まで連続出演したタモリやこの週末にコンサートをしたSMAPなど一部のいいともメンバーが出演しなかったのも大きかった。一方の「24時間テレビ」はKinKi Kids・飯島直子・加藤紀子をメインに、マラソンではジャニーズ初マラソンランナーとなった山口達也(当時:TOKIO)が100kmを完走。ゴールではジャニーズの親交の深い森光子や髪をロングヘアーからショートカットになり視聴者などを驚かせた安室奈美恵など多くのタレントの前で当時のTOKIOメンバー・5人揃ってゴールした。結果「FNSの日」が11.6%・「24時間テレビ」が15.5%と再び「24時間テレビ」が盛り返す。

 

1998年~2000年は「FNSの日」では中居正広(当時:SMAP)がメインを務め、視聴率も「24時間テレビ」に肉薄に迫ったこともあった。

 

しかし、2001年。「FNSの日」は1997年に最低視聴率を記録してしまった水口昌彦がプロデューサーに関わり、ネプチューン・キャイ~ン・ココリコの居残り組に、さんま・中居・タモリをはじめダウンタウン・ナインティナイン・志村けん・加藤茶・みのもんたといったMCリレーで行ったが、土曜日の夜に「明石花火大会歩道橋事故」で内村光良メインのドミノ企画が中止する事態など精彩を欠く点が目立ってしまった。一方の「24時間テレビ」はモーニング娘。をメインに「FNSの日」で1987年・2000年のテーマにもなった「家族」をテーマにモー娘。メンバーが大家族の家に訪問するなど西川きよしなど有名人の家族が武道館に駆け付けた。

結果「FNSの日」が11.4%・「24時間テレビ」が15.7%と「24時間テレビ」が勝利し、2003年まで「24時間テレビ」の連勝街道が続いていた。

 

2004年は「FNSの日」は2000年以来の司会となった中居に加え、ナイナイと「めちゃイケ」の人気コーナー・企画のスペシャル版を中心に2002年・2003年の感動路線から脱し、お笑い路線に戻した。一方の「24時間テレビ」では嵐をメインに務めたが前年の当時・日テレ社員が犯した「視聴率買収事件」やこの時期に日本中がメダルラッシュに沸いたアテネオリンピックの影響で精彩を欠き、結果「FNSの日」が16.9%・「24時間テレビ」が11.7%と久々に「FNSの日」が勝利した。

 

しかし、歯車を狂わせたのは翌年・2005年のこと「FNSの日」は鶴瓶をメインに展開したが、頭の1時間半と終わりの2時間しかスタジオに出演せず、都内のいろんな所で中継。その間、タモリ・さんま・中居・ナイナイ・内村・ネプのほか、細木数子・島田紳助・安藤優子などMCリレーで様々なコーナーを放送した。その「24時間テレビ」はこの年巨人軍の成績不振・久米宏MCの「A」が3ヶ月で終了と日テレに逆風が吹く中、香取慎吾・草彅剛をメインにSMAPメンバーや慎吾と当時「天声慎吾」に共演していたキャイ~ンや小池栄子・菊川怜など輪番でチャリティーサポーターを務めた。マラソンでは丸山和也が100km完走し、当時の行列メンバーである紳助のほか磯野貴理子・東野幸治が涙した。

結果「FNSの日」が13.0%・「24時間テレビ」が19.0%と「24時間」が後に始まった「FNSの日」の最高視聴率に迫る過去最高を記録。

それ以降、昨年まで「24時間テレビ」の連勝が続いていた。

 

しかし、「24時間テレビ」に痛手が…。2023年11月に「24時間テレビ」で初回から参加している日本海テレビの社員が寄付金の着服が発覚。系列局の日本海テレビだけではなく日本テレビ・日テレ系27局と「FNSの日」と双方にも参加しているテレビ大分・テレビ宮崎・沖縄テレビの視聴者から「24時間テレビ」に悪影響を及び、「24時間テレビ」の制作自体が一時ストップする事態に及んだ。

 

そんな中、2024年。「27時間テレビ」は霜降り明星・チョコレートプラネット・ハナコをメインに学園祭をテーマに3組がメインを務めている「新しいカギ」をベースに学校を展開する「超!学校かくれんぼ」「ティーチャーをさがせ!」、今年映画にもなった「逃走中」が20年目にして初の試みをする学校を舞台にカギメンバーや柏木由紀・渋谷凪咲などご当地出身タレントなどが賞金を懸けハンターとの鬼ごっこを展開した「FNS逃走中」、日本全国や韓国から選ばれた学生チームがカギメンバーと共におもしろいダンスを競う「カギダンススタジアム」、ネプがメインの人気企画「ハモネプ」の学生版「ハモネプハイスクール」、学生が考えた俳句の下の句を当てる「ナゾトレ川柳」、前年好評を博した「100kmサバイバルマラソン」など様々な企画を展開。

コア層を中心としたことで「カギダンススタジアム」のコア層の視聴率では7.8%を記録し、系列局社員が犯した寄付金着服事件で叩かれた「24時間テレビ」に対し酷評記事が少なく、高視聴率や高評価を伝える記事が多く出回った。

 

今週末に「24時間テレビ」は前年までメインを務めたジャニーズ(現:STARTO)タレントを起用せず、くりぃむしちゅーの上田晋也をメインに相葉雅紀・有働由美子・土屋太鳳・ヒロミ・藤井貴彦(フリーとしては初出演)などサポートに回るが、この週末に台風10号が九州~西日本・東日本に直撃と予想され、もし、メイン会場の両国国技館のある関東にも台風が直撃されたら、内容変更さらには1991年に記録した歴代最低視聴率6.6%を下回るほか、日程調整などで酷評意見が多く叩かれることが予想される。

 

フジテレビ「27時間テレビ」を見てた僕にとっては、「24時間テレビ」が台風に直撃するマイナス方向を願うしかない。

また、20年ぶりに日テレが白旗を掲げる日が見たいと願っている。