サウジアラビアの遺構(Google Earth)

 

オーストラリアの考古学者のグループが、Google Earthを活用して、サウジアラビアで

おそらく数千年前のものと思われる遺構を多数確認しています。来月には文書で発表

される予定、とのニュースが多数見受けられます。

 

参考:「400 mysterious ancient stone ‘Gates’ discovered in Saudi Arabia」(English)

 

過酷な自然環境と政治的な問題があり、訪れるのが難しいところでも下見が出来る、

という点で、出来ることの可能性が拡がった好例と捉えられるかも知れません。

 

という訳で、実際にどの程度「見える」のか、試してみました。今回一番多く伝えられて

いるのは、用途が不明となっている巨大な四角形の石積みです。たとえばこんな所に

あります。

 

Harrat Khaybar(ハラット ハイバル)火山を中心とするエリア(上空18,000mから)

 

マーカーのある領域を拡大してみます。

Harrat Khaybar(ハラット ハイバル)火山を中心とするエリア(上空900mから)

 

麓から山頂付近まで、ほとんどすべてを使って、いくつもの四角形が描かれています。

火山地帯なので牧草地という訳でもなく、斜面なので建物を建てることも出来ません。

(この山の200m南側にも長さ100mほどのものがありますが、向きが90度違います。)

 

という訳で、最大の解像度まで上げなくても誰でも充分に確認が可能なものとして、

多くの文書では、この場所が取り上げられています。見栄えも良いですし。(笑)

 

この研究の代表格であるProfessor David Kennedy(The University of Western Australia)

は、他にもいくつかのタイプの遺構を分類・整理しています。おおまかにわけて4種類、

それぞれGoogle Earth等を利用すれば誰にでも見えるレベルのサンプルで示してみます。

 

Wheel(車輪)の例(用途不明)(上のハイバル火山からは南に250kmほど離れています。)

 

ご覧の様に途中をハイウエイで分断されてしまっています。研究者はこうした遺構の破壊も

危惧しています。(スクロールさせると周囲数kmの範囲に同様の遺構が点在しています。)

このタイプのものは、1920年代からイスラエル、ヨルダン、エジプトなどで多数確認されて

いますが、サウジアラビアのものの方が構造は単純です。

 

Pendant(首飾り)の例(おそらく墳墓などの祭祀用)

(大きさは異なりますが、日本の「前方後円墳」と対比させて考えると解りやすいです。)

(上のハイバル火山からは西に70kmほど離れています。)

 

大規模な集落の遺構の周囲だと、外側に拡がる様に多数並んでいる場合もあります。

集落から離れるほどその密度は落ちて行きますが、ほぼ直線で最長6kmにわたって

並んでいるところもあります。ただし、イスラム教が成立する以前のもののせいか、

その「向き」には強い法則性がみられません。

 

Kite(凧)の例(おそらく狩猟用の「囲い罠」)(漁具の「」(やな)に類似の陸上動物用)

(上のハイバル火山からは西に60kmほど離れています。)

 

こちらのタイプは集落から数kmから十数km離れたところに多く分布しています。規模が

大きいせいもあり、後から開発されて部分的に破壊されてしまったものも数多くみられます。

このタイプのものも、1920年代からイスラエル、ヨルダン、エジプトなどで多数確認されて

いますが、サウジアラビアのものの方が構造は単純です。

 

Gate(門)の例(用途不明)(上のハイバル火山からは西に60kmほど離れています。)

 

こちらのタイプも集落から数kmから十数km離れたところに多く分布しています。分布状況と

サイズからKite(凧)タイプの「閉じられた」状態のものの様にも見えますが、用途は不明です。

 

さらに大規模な遺構群(Al Qamus Fort in Khayber Al Qadimah)(English)

(上のハイバル火山からは西に70kmほど離れているハイバルの街のすぐ北側です。)

 

参照:「Khaybar」(English)

 

主な記録が登場するのは6世紀からですが、それ以前から人が居住しているオアシスで、

何度も居住する民族が入れ替わっています。ポイントされている城砦の隣には、更に

新たな城砦が築かれています。

 

その北側の領域が一番古いもので、それより南側に向かってだんだん新しい世代の

居住地域が造られています。更に南北それぞれ2km離れると、現在の居住地域です。

おおまかには丸みを帯びたものが有史以前からのもので、崩壊が進んでいる角張った

ものがキリスト教系のもの、あまり崩壊が進んでいないものはイスラム以降のものです。

 

このもっとも古い領域を拡大してみると、前述のPendant(首飾り)タイプの遺構が

多数並んでいるのが判ると思います。このうち最も長いものは、南北2つの「Wadi

涸れ川)に挟まれる様にして、ほぼ東方向に向けて6km以上も続いています。

(この間、現在の主要道路との交差が2か所あり、そこだけ分断されています。)

 

現地踏査しているグループがあります

 

参照:「THE DESERT TEAM (Fariq Al Sahra)」(English/Arabic)

 

サウジアラビアの有志のグループが現地踏査したレポートを多数紹介しています。

索引ページだけは英語版がありますが、そこから先のリンク先はすべてアラビア語で

書かれています。現地の貴重な写真が多数ありますので、参照されてみると良いです。

(遺構の石積みの状態や、ほとんど生えていない植生の状態が良く解ります。)

 

(追記)

冒頭の記事の説明図の場所はこちらです。(Google Map)すでに一部損壊しています。

 

(以上)