(感情がこじれてつらくなってしまっている方向けの TIPS です)

 

『承る』第141回 Weekly Coaching Webinar

 

 

行動をすれば、結果が出ます。
期待通りの結果が出ることもあれば、そうでないときもあります。
むしろ、そうでないときのほうが多いかもしれません。

 

現状の最適化を超えたその外への挑戦を続けているのです。
うまくいかなくてむしろ当然です。
挑戦しているからこそ直面する難局です。

 

とはいえ、
自分自身はベストを尽くした。
やれることは全部やった。
手応えもはっきりある。

 

なのに、
蓋を開けてみたら、もう全然、箸にも棒にもかからない。

 

そんな結果が出てしまうと、やはりショックです。
しんどくなってしまうこともときにはあるかもしれません。

 

人間ですからね。感情があります。

 

そして、そういった感情は、
ときに制御しがたいことがあります。

 

そんな制御しがたい感情に苛まれて、精神的にどん底に落ちてしまった。
そんなとき、そこからどうやって這いあがればよいのでしょう?

 

 

 

対処法は少なくともふたつあると、僕はいま思っています。

 

ひとつは、
感情なんか押し殺してマシンのように徹頭徹尾ロジカルに考え抜く、というやり方です。
以前の僕は、どちらかというとそういう考えでした。

 

他方、
別の選択肢もあるように思います。

 

いったん立ち止まって、今うず巻いている感情としっかり向き合ってみるやり方です。
僕が最近心がけているのは、こちらです。

 

もちろん、どっちがいい・悪いということではありません。
選択肢の問題です。

 

人間には感情があります。
いいも悪いもなく、あるものはあるのです。

 

それを、力ずくで無理やり抑え込もうとすると、
かえって暴れまわってしまいます。

 

無視してあたかもいないかのようにふるまうと、
今度はかえってネチネチと絡まれ、つきまとわれてしまいます。

 

悩ましい。

 

だからこそ、勇気をもっていったん立ち止まって、それらの感情と向き合ってみる。
それを心がけるようにしています。

 

そのとき一番気をつけているのは、それらの感情を評価したり、批判したり、否定したりしないことです。
それをすると、感情はやっぱり反発してしまうからです。

 

"Push, Push back" です。
こちらが押せば、向こうも押し返してくるのです。

 

なので、
批判したり否定したりはせずに、
いいも悪いもなく、
「ああ、今そういう感情を自分は感じているんだな」と、
ただそれだけをそのまま受け取るようにしています。

 

そして、受け取ったら、その感情とともにしばらくいてみます。
これを「味わう」という表現を使ったりもします。

 

相手の言い分に耳を傾ける感じでしょうか。

 

こちらからは基本何も言いません。
反論ももちろんしません。
一切の評価を交えずに、感情の言い分をただただ承るのです。

 

そうやって感情の言い分を承りながら、少しずつその距離感を寄せていきます。

 

野生の小動物に近づいていくように、と喩えられることもあります。

 

不用意に近づいていくと、野生の小動物はびっくりして逃げ出してしまったり、 警戒して固くなってしまったりします。

 

相手を驚かせないように、ゆっくりやさしく近寄っていく、そんな感じです。

 

そして、
感情の言い分をひととおり承ったら、今度は、

 

感情は何を守ろうとしているんだろう?
感情は何を一番大切にしたいと感じているんだろう?
感情にとって理想的な状態は何なんだろう?

 

それらを感情の言い分・感情の立場に立って感じてみます。

 

自分の立場で(頭で)考えるのではありません。
感情の立場で感じてみます。

 

その結果、
何か自分の中に浮かんだものがあったら、
それを感情に戻してみます。

 

「私にはこう感じられたんだけど、それで合ってますか?」
感情に確かめるのです。

 

「これでいいんだよね」ではありません。
自分の意見に同意を求めるのではなく、
あくまで相手の意見をよりよく理解することに努めます。

 

そのために戻すのです。

 

そして、感情がどう返してくるかを待ちます。

 

ここでも、自分の感覚に答えを引っ張るのではなくて、
感情から何かの答えらしきものが出てくるのを待ちます。

 

ここでいう「何らかの答えらしきものが出てくる」というのは、
感情という想像上の相手が口を開いて何かを明確に言語化して話してくれる、そういうものでは必ずしもありません。

 

自分はこう感じなんだけどそれで合ってますか?

 

感情に戻したときに、
それをきっかけに自分の中でどんな体感的な変化があるか、です。

 

その体感的な変化がもし起きたなら、
この体感の変化は何を意味しているんだろうか、それを自分なりに汲み取る、ということです。

 

感情の言い分をとにかく承り、
相手が大切にしていることとか、守りたいことは何だろう?
相手にとっての理想的な状態って何だろう?
そういうものに思いを致して、
感じたものがあればそれを感情に戻す。

 

そんなやりとりをしていきます。

 

仮にその結果感情から何が出てきたとしても、
そこにいい悪いはありません。

 

評価も否定もせずに、
逆に変に迎合することもせず、
出てきたものをただそのまま承るのです。

 

そんなことをしばらく続けていると、
最初は底なし沼のように思えた感情であっても
少しずつ少しずつ和らいでくることを感じることができます。

 

これを「浄化する」と言ったりもします。

 

とにかく、自分の回復力を信じてください。

 

やがて回復した暁には、
感情の底なし沼から自力で回復してみせた、その事実が、
自分自身のとてつもない財産となります。

 

激しい感情を受け止めて、言い分を承って、浄化する。
そのことによって、そこから自力で脱出してみせるのです。

 

そういった経験を経る、事実をつくる。

 

それが、
どん底から這いあがるための基礎固めです。

 

 

では!

 

 

 

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『閾値を越える』第140回 Weekly Coaching Webinar

 

 

夢の実現
目標の達成
それはどんなふうに成し遂げられるのか、
今回はその効果の出方のお話しをしてみたいと思います。

 

結論を言ってしまえば、

  • ステップバイステップで成果が見えるものもあれば
  • いつまでも成果が見えいまま実践を積み上げた結果、いきなり成果が見えるようになるものもあります

ということです。

 

今やっていることが前者のタイプなのか後者のタイプなのかを見極めて、適切に実践をしていきましょうね、とそんな話しです。

 

答えを言ってしまいました(笑)。
以上です。

 

 

専門的には、
前者を順次戦略、
後者を累積戦略、
と言うそうです。

 

以前どこかで、順次戦略のことを逐次戦略と表現したことがあったかもしれません。
正しい表現は順次戦略でしたので、お詫びして訂正します。

 

うろ覚えでモノを言ってはいけませんね。反省。

 

【1】順次戦略

 

順次戦略というのは、
工程表やガントチャートなど、ゴール達成への道筋をステップバイステップで階段状につくっていくことができるような戦略のことです。

 

図示すると、たとえば以下のようなカタチです。

 

 

典型的なのは、建築とかでしょうか。

 

まず、右上にゴールを設定して、その期限を決めます。

次に、そのゴールと現状とを埋める(複数の)ステップを明らかにします。

そして、ゴールの期限から逆算して(ここ大事!)いつまでに何をする、いつまでに何をする、とゴールから考えていき、現状に至るまでの各ステップとその期日を明らかにします。

 

そうすると、この図にあるように、階段状の全体図ができあがります。

 

こういう階段状の全体図をつくれるものが、順次戦略です。
 

 

【2】累積戦略

 

これに対し、累積戦略とは、
どこまでやればゴールが達成されるのか明確にはわからないような戦略をいいます。

 

わかりやすい例は、
外国語の習得とかでしょうか。

 

たとえば、英語の聴き取り能力を高めたいとします。
毎日毎日英語のリスニングをします。

 

それをもししなければ、英語の聴き取り能力が高まることはないでしょう。
それそすれば、いつかは聴き取れるようになるでしょう。

 

でも、じゃあ、いつ聴き取れるようになるんですか?
それは、厳密にはわからないわけです。

 

わからないけれども、それでも毎日くりかえすわけです。
毎日毎日くりかえすことによって、いつか聴き取れるようになるのです。

 

これが典型的な累積戦略です。

とにかく毎日毎日くりかえします。

 

すると、昨日までは聴き取れなかったのに、
あれ? 今日は聴き取れる!
そんな瞬間がおとずれるのです。

 

急に変わるのです。

 

 

上図のように、線が急に立ち上がる、その最低限の変化が起きる境目のことを「閾値(いきち)」と言います。

 

閾値を越えるまでは、なかなか変化は起きません。
他方で閾値を越えると、一気に変化が起きます。

 

今回強調したいのは、まさにこの点です。

 

ついこの間僕自身に起きたことを参考事例としてお話ししてみたいと思います。

 

もう、かれこれ半年近く温めていた、あるプロジェクトがありました。

 

自分の中ではそのプロジェクトはとても大事なことで、そのプロジェクトのことを忘れたことは片時もありません。

 

頭の片隅で常にずっとそのプロジェクトのことが残っていて、頭がずっとそのことについて回り続けている感じでした。
 

来る日も来る日もそのプロジェクトのことが頭のどこかに残りつづけていました。

 

でも。

どこにもこうにも進まない。
 

そんな事態に陥ってました。

 

正直、自分の中で焦りも出てきます。

 

でも、
なぜか動けなかったんですよね。

 

アイデアはモヤモヤっとあるんだけれども、それがどうにもこうにも具体化しない。結晶化しない。カタチにならない。
そんなもどかしさがありました。

 

ある日、たまたま全然関係ない人の講演会を聞いていたんですが、そのときに、「!!」と、その人の話しから突然ひらめいたんです。

 

過冷却状態にあった水が外部的な刺激をカキン! と受けてアッという間に凍りつくように、カチカチカチッと一気に結晶化した。組み上がった。具体化した。
そんな感覚でした。

 

閾値を越えたのです。

 

そのあとは、もう一気です。

 

自動筆記か自動書記かというくらい(笑)、もう、降ってくるものをとにかく書く! みたいな。

湧いてくるもの、結晶化したアイデアをとにかくもひたすら言語化していきました。

とにかく書いて書いて書いて書いて。それをやりました。

それでも、全部書き出すのに三日くらいかかったでしょうか。

 

それまで半年以上くらいまったく何も進まなかったプロジェクトが、一気に動いたのです。

 

夢の実現とか目標の達成は、常に同じペースで着実に一歩一歩進んでいくとは限りません。
むしろ、そうじゃないことの方が多いとすら思えます。

 

長い長い雌伏の期間を経て、突然一気に花開くことがあるのです。
累積戦略でそれが起こります。

 

((customer_name))自身が今手がけていることが順次戦略なのか累積戦略なのか、そこを見分ける。
そんな視点を持っておくといいのではないかと思った次第です。

 

もし、
累積戦略なのであれば、
成果がステップを踏んで、徐々に上がっていく、着実に成果が見える形で進捗が図られる、そういうことは起きません。

閾値を越えた瞬間、成果は急激に出るのです。

 

累積戦略であれば、
閾値を越えない限り成果が出ないのはある意味あたりまえです。

ある種そう割り切って、成果が出ないことへの焦りを手放してはいかがでしょう。

 

むしろ逆に、
今日も着実にタスクをこなした、着実に閾値に向かっているんだ、そんな思いとともに自己効力感をますます上げていく。

そんな態度で僕自身はいたいなと思っています。

 

閾値を越えれば、
その瞬間、パッと急激に成果があがるのです。

 

 

 

では!

 

 

 

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『動機を明確にする』第139回 Weekly Coaching Webinar

 

 

望む未来を明確にすると、次に人は方法を知りたがります。
どうすればいいのか? やり方です。

 

もちろん、最終的に方法論は必要になります。
でも、その前に必要なことがあります。

 

今回は、得てして忘れ去られがちなこの盲点についてのお話しです。

 

たとえば副業を考えているとしましょう。
あるいは、定年退職後のセカンドキャリアでもいいです。

 

何を言いたいのかというと、
今のままでも生活には困らない。
やらなくてもいい。
そんな状況を想定してみてくださいということです。

 

やってはみたい。
でも、やり方がわからなくて止まっている。

 

そんな状態です。

 

とくにこの副業を

できること

から考えている人に起こりがちであるように感じます。
いい悪いではなく、事実としての傾向のお話しです。
それではダメだと言っているわけではありません。

 

副業やセカンドキャリア、
やらなくても困らないけど、やってみたいとは思っている。
自分はこんなことができる。
今までの経験を活かしてこんなことができそうだ。

 

こんなふうに考えている人は、あくまで傾向としてですが
やり方を知ろうとします。

 

どうすればいいですか?
なにか参考になる事例があったら知りたいです。

 

こんな感じです。

 

そして、
そういう事例を調べたとしましょう。
情報が手に入ったとしましょう。

 

じゃあそれで動けるか?

 

動けないんです。

 

もちろん、それで動ける人はたしかにいます。
でも他方、動けない人も一定数いるのです。

 

それで動ける人、
それでも動けない人、
ふたパターンに別れるのです。

 

ここに大きな学びがあるように思います。

 

やり方を知ってもなお動けない人は、なぜ動けないのでしょう?

 

やり方を知ってもなお動けない人は、じゃあ、そのあと何をするのでしょうか?

 

得てして、さらに情報を知ろうとします。

 

なぜでしょう?
知りたかったやり方の情報を得たのに、その人たちはなぜさらに知ろうとするのでしょう?

 

推測ですが、
傍から見ていて思うのは、
もしかすると動機が明確ではないからかもしれません。

 

できること、できそうなことはある。
アイデアはあるのです。

 

知りたかったやり方もある程度わかりました。

 

これまではやり方がわからないから動き出せないと思っていました。

 

そしてやり方は分かりました。

 

よし、動き出そう!

 

とならないのです。

 

もしあなたに心当たりがあるなと少しでも思われたのなら、
次のことを考えてみてほしいです。

 

それは、動機です。
なぜそれをやるのか、です。

 

いや、ちょっと面白そうだから。
自分にもできるかなと思って。

 

ここで言っている動機というのは、そういうことではありません。

 

そもそも、そのアイデアはやりたいことですか?
なぜやりたいのですか?
それをすることで、あなたは何を成し遂げたい、何をもたらしたいのですか?

 

ここが明確になっていますか? ということなんです。

 

できることから考え始めると、おうおうにしてここが抜けてしまいます。

繰り返しますが、それではダメだと言いたいのではありません。

 

why なのです。
why こそがもっとも重要です。

 

how がわかってもなお動き出せない人は、why が明確になっているかいないか、ここを確認してください。

 

自分は本当にこれをやりたいんだ。
なぜなら、こんなふうに生きたいから。
なぜなら、こんなことを成し遂げたいから。
なぜなら、社会にこんなことをもたらしたいから。

 

この why が明確にないと、人はほんとうの意味では動き出せません。

 

ですから why を明確にする必要があります。

 

なぜそれをしたいのか、理由です。
動機です。

 

それをすることによって何を成し遂げたいのか。
目的です。

 

それを成し遂げることが、あなたにとってどれほど大切なことなのか。
価値観との整合性です。

 

ここを明確にせずにただ小手先の技術論としてやり方だけを知ろうとしても、その先へは進めないのです。

 

有名な三人のレンガ職人の話しがありますね。

 

概要をお伝えすると、こんな話しです。
少し長くなりますが、引用しますね。

旅人が道を歩いていると、道端でレンガを積んでいる男に出会った。
旅人が何をしているのかと訊くと、男は答えた。

 

「見ればわかるだろ、レンガを積んでいるんだよ。朝から晩まで、来る日も来る日もレンガ積み。腰は痛くなるし、まったくやってらんないね。
もっと楽しているやつらはいくらでもいるっていうのに。まったくついてないよ」

 

旅人は男に慰めの言葉をかけてその場を去った。

 

少し歩くと、レンガを積んでいる別の男に出会った。男はつらそうには見えなかった。
旅人が何をしているのかと訊くと、男は答えた。

 

「壁をつくっているんだよ。これが自分の仕事なんだ。この仕事で自分は家族を養っているんだよ。大変だなんて言ったら、バチが当たるよ」

 

旅人は男に励ましの言葉をかけてその場を去った。

 

少し歩くと、レンガを積んでいるさらに別の男に出会った。男はとても活き活きとしていた。
旅人が何をしているのかと訊くと、男は答えた。

 

「歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだよ。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだ。素晴らしいことだ」

 

旅人は男にお礼の言葉をかけてその場を去った。

概略こんなお話しです。

 

三人ともやっていることは同じです。
でも、
そのやっていることへの取り組み方・姿勢は明らかに違います。

 

なぜ違うのでしょう?

 

いろんな解釈はできると思いますが、僕はこう思います。
自分がやっていることの意味が明確になっているかどうかが違うからです。

 

あれ? なんで自分はこんなことしているんだろう?

 

ふとそんな疑問に襲われたとき、やっていることの意味が自分の中で明確になっているかということです。

 

きつい
つらい
めんどうくさい

 

そんなふうにチラッとでも思ってしまったとき、
やっていることの意味が明確になっていないと、ゆらぎます。

 

ハタと立ち止まってしまうのです。

 

why が自分の中で明確になっていれば、ゆらぎません。

 

いついかなる時も、3人目のレンガ職人のようによろこびとともに活き活きとレンガを積み上げることができるのです。

 

まずは why を明確にすることです。

 

なぜそれをしたいのか、理由です。
動機です。

 

それをすることによって何を成し遂げたいのか。
目的です。

 

それを成し遂げることが、あなたにとってどれほど大切なことなのか。
価値観との整合性です。

 

これがあらかじめ明確になっているからこそ、
やらずにはいられない!
強い活力とともに一気に進むことができるのです。

 

ちなみに、三人のレンガ職人は十年後どうなっていたでしょう?

 

文句を言っていたひとり目は、相変わらず文句を言いながらレンガを積んでいたそうです。

 

ふたり目はより危険な仕事を請け負い、高い収入を得ていました。

 

3人目は現場監督になり、ついに大聖堂を完成させ、その大聖堂には彼の名がついたそうです。

 

 

では!

 

 

 

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『コーチングは本で学べるか』第138回 Weekly Coaching Webinar

 

 

みなさんこんにちは、飯野洋介です。
今回のテーマは、「コーチングは本で学べるか」というテーマでお送りしたいと思います。
今回はコーチングの学びに関する雑感です。
よろしくお願いします。

以前、こんな質問を受けたことがあります。

「私は読書でコーチングを学びました。それでもコーチングの講座を受ける必要がありますか?
受ける意味がありますか?」

こんな質問です。
あなただったらどうお答えになるでしょうか?

僕はそのときこんなふうに答えました。

「あなたが海外旅行に行きたいとしましょう。
海外旅行のガイドブックを読んで海外に行った気になることと、
実際に海外に旅行に行くこと。
それって、同じですか?」

そうお伝えしました。

コーチングを読書で学んだというのは、言ってみれば、旅行ガイドを読んで現地の様子を知識として入れたというだけです。
でも、それと、実際行ってみるのとでは、おそらく雲泥の差があるでしょう。
実際現地に行って、現地の空気を肌で感じれば、それは違います。

ガイドブックを読んで行った気になり満足するか、
実際行って見聞するか。
コーチングを本で読むのと講座を受けるのとでは、それくらい違います。


次に、
実際コーチング講座を受けようと思うと、
多くのコーチングスクールでは、コーチング講座に関してコース制と言いますか、進度別にコース分けをしていることに気づきます。
例えば、入門コース、応用コース、プロ認定コースなどです。

このコース分けの中で、自分はどのコースまで進んだらいいのか、が次に疑問として湧いてくるかと思います。

もちろん、ゴール --- コーチングを学んだ自分はそのコーチングを使って何を(どんな仕事を)しているのか、それによりどんな貢献を社会に対してしているのか --- との関係で決めてくださいねというのが答えなのですが、イメージを持ちやすいようにコースごとの違いを比喩的にお話してみたいと思います。

コーチングスクールの講座を見ると、いくつかのコース分けがある中で、
・プロ認定コース
・それ以外
このふたつにそれぞれのコースを大別できることに気づくと思います。

この、
・ プロ認定コース
・ それ以外(それ以前)
それぞれの違いを比喩的に言うなら、

・ プロ認定コース: 海外に移住する
・ それ以外: 海外に旅行する

そんなふうに言えるかと思います。

一時的な旅行と移住とでは、得られる経験の差はやっぱり違いますよね。同じ海外に行くのでも。
そのくらい違いがあると思います。


ここで気づくのは、学びのステップです。
僕なりに考えたものが以下です。

 


まず、「知らない」と「知っている」。
ここに大きな段差があります。
ここが最初のステップ。

次に、「知っている」と「わかる」。
ここにもまた大きな段差があるように思います。
知識として持っているということと、その意味をちゃんと理解できているか・人に説明できるか、は違うと思うからです。

そして、「わかる」と「できる」。
ここに決定的な段差があります。
僕は過去の一時期、この「わかるとできるとは違う」というのを◯◯のひとつ覚えのように言っていたことがあります(笑)。

そう、「わかる」と「できる」とは違うんです。

自動車の運転なんて、典型的ですよね。
とくにマニュアル・トランスミッションがあたりまえだった時代に自動車の運転免許を取られた方なら、クラッチ操作に悪戦苦闘した記憶があると思います。

・まずブレーキを緩め
・クラッチを半分つなぎ
・自動車が動き出したら、クラッチを全部つなぐ

わかっていても、できないのです。
わかるとできるとは、違うのです。

このように、
「知らない」から「知っている」、
「知っている」から「わかる」、
「わかる」から「できる」。

こんなステップが学びに関してはあると僕は思います。

とすると、この学びの各ステップ
・「知らない」を「知っている」にする、
・「知っている」を「わかる」にする、
・「わかる」を「できる」にする、
それぞれのステップに合わせたコース分けがされているのが、講座設計としては親切と言えるのかもしれません。

もうひとつの見極める視点は、実技です。

「知らない」から「知っている」への最初のステップと、
「知っている」から「わかる」への2番目のステップ、
このふたつのステップは、言ってしまえば知識レベル、知識とか理解というレベルの話しです。
つまり、極論すれば頭だけでもなんとかなります。

これに対し、
3つ目のステップ、「わかる」と「できる」この違いは頭だけでは無理です。
特にコーチングは実技ですから。

身体で覚えること、反復練習を通して体感を伴って理解していくことが必要不可欠です。

座学だけで車の運転ができるようにならないのと同じです。
教習所内を運転し、ある程度できるようになったら実際に公道を走ってみます。
そういった実技の時間を積み上げて、頭で学んだ知識をからだに落とし込んでいくわけです。

コーチングもこれと同じです。

実技の時間をコース内でどれだけ取っているか。
あるいは、
実技の時間をコース外の実践としてどれだけ求めているか。
そこを吟味することが必要です。

これは、
本当にコーチング「できる」ようになるためには
しっかりと見定める・吟味するべきとても大切なポイントだと僕は思っています。


ちなみに、「できる」ようになればそれで終わりでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。
「できる」の先には「成果をあげられる」があります。
ここにもまた段差があると僕は思っています。

 

 

「できる」と「成果をあげられる」とは、違うのです。

野球でバットをボールに当てられるということと、
じゃあ、三割打てるのか、は違うわけです。

サッカーでシュートを打てるようになりました、
ゴールを決められるようになりました、
じゃあだからって、得点王になれるんですか、はまた別の話しですよね。

この点、スクールで学べるのは実は --- すべてを網羅した上で言っているわけではありませんが ---「できる」までです。

その先の段階、「成果をあげられる」に到るのは、
認定を取ったあとのコーチ自身の自己研鑽にかかっているわけです。

今、自己研鑽という表現を使いました。
この自己研鑽をもう少し具体的に言うなら、
経験値を積み上げることだと僕は思っています。

この経験値とは、言ってみれば面積で表されるようなものだと僕は思っています。

横軸に時間数
縦軸にふりかえり(学び)
をとったとき、その面積として表されるものです。

下図のような感じです。

 

 

ここで注意を喚起しておきたいのは、
とかく、この図で言えば横軸である時間数だけが経験値の要素だと強調されがちだということです。
コーチ紹介サイトによっては、コーチごとにそのコーチングの時間数を明示しているところもあるくらいです。

ですが、経験値には、時間数のほかにもうひとつ軸があるんじゃないですか、ということをこの図は示しています。

その
もうひとつの軸とは何か、と言えば、
個々のセッションのふりかえりです。
ふりかえりからどれだけ毎回毎回学びを得ているか、です。

ふりかえりを通して、
例えば、自分のコーチングのスタイルについて、
あるいは、このクライアントとの関係性について、などなど、
個々のセッションから次につながる学びをどれだけ得続けているか、です。

経験学習のループをどれだけ回し続けられているか、です。

そういった経験学習を、どれだけ深く真剣に行っていますか、
その結果、どれだけの学びを毎回毎回得ていますか?
それが縦軸です。

これは、机上の空論ではありません。
実際に僕自身が他のコーチとコーチングの練習をしていく中で気づいたことです。
コーチングの練習(プラクティスとかスキルドリルと言ったりします)では、自分のコーチングについてフィードバックをもらう時間があります。

このとき、
いわゆるコーチングがうまい人は、フィードバックもうまいです。

僕はこれで気づきました。
自分自身のコーチングを日々ふりかえっている、それによって、いわばふりかえり力がついているのです。
縦軸が厚いのです。だから、うまい。

ふりかえり力が高いから、人のコーチングへのフィードバックも的を射ているのです。

ここから、
横軸の時間数、と
縦軸のふりかえり
両者をかけ合わせた結果面積として表されるもの、それが経験値だと僕は思うにいたりました。

この点、
横軸の時間数は表に出やすいですが、
縦軸のふりかえりの深さは表には基本出てこない情報です。

なので、
コーチに実際問い合わせをしたり、場合によっては体験コーチングを受けたりすることを通してそこをしっかり吟味していく。
そんなことも大事かなと思います。

ちなみに僕は専業コーチなので、ふりかえりはいつもガッツリやってます(笑)。
時間数は、、、がんばります(笑)。

クライアント募集中です。

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最後は宣伝でした。

 

 

では!

 

 

 

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『真の生命を得る』第137回 Weekly Coaching Webinar

 

 

僕の大好きな映画のひとつは、『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督、1982年)です。
『ブレードランナー』にはいくつかのバージョンがありますが、その中でも「最終版(ディレクターズカット)」が個人的にはイチオシです。

今回は、この『ブレードランナー/最終版(ディレクターズカット)』(リドリー・スコット監督、1992年)を題材に少し語ってみたいと思います。

なお、以下では映画のネタバレを含みます。ネタバレがイヤな方はまず映画を見てからこの先をお読みください。

 

 

▼ 映画『ブレードランナー/最終版(ディレクターズカット)』(リドリー・スコット監督、1992年)

 

物語の舞台は、未来の地球です。
レプリカントという犯罪者のロイと、それを追い詰めるブレードランナーという特殊警察官のデッカード。
このふたりの追いつ追われつのドラマです。

レプリカントは人造人間です。

人造人間といってもからだが機械化されているとか、コンピューターの人工知能とか、そういうことではなくて、純粋に肉体は生身なんです。
なので、銃で撃たれると死んでしまいます。

このレプリカントは、外宇宙の惑星の開拓などに使役される、言ってしまえば奴隷です。
肉体と知能が人間よりも強化されている、そんな設定です。
その代わり、二年の寿命しかないという設定です。

そのレプリカントのある一行が地球に密航してきます。

地球ではレプリカントは禁制品になっていて、地球にレプリカントを持ち込んではいけないとされています。
なので、地球に潜入したレプリカントを見つけて処分する専用の警察部隊が組織されています。それがブレードランナーです。

デッカードは、そのブレードランナーのひとりです。

あるレプリカントの集団が地球に潜入したとの報を受け、デッカードに「駆除」の司令が下ります。

地球に潜入したレプリカントたちは何をしにやってきたのかというと、

 

(ここからネタバレです)

 

 

二年の寿命、これを何とかもっと伸ばせないのかと製造元に掛け合うために地球にやってきたのです。

紆余曲折があって実際メーカーの社長と会うことができたロイは、自らの延命に関し技術的な提案・可能性をいくつ指摘します。
しかし、それらはすべて論破されてしまいます。

自らの延命は叶わないと理解したロイは、失意とともにその社長の下を去ります。

そんなロイをデッカードは追いかけます。殺害するために、です。
当然ロイは逃げます。

ところが、逃げている最中に、ロイは自分の死期が近いことを悟ってしまいます。

逃げながらだんだん手先の感覚がなくなってくる。
意識が一瞬遠のいてしまったりする。

そんなことが自分の身に起きはじめたことで、ロイは自らの死期を悟るわけです。

でも、デッカードは追いかけてくる。
ロイは逃げます。


いよいよ物語の最終盤、
ロイはビルの屋上に逃げおちます。
デッカードもそれを追いかけてビルの屋上にやってきます。

そこでロイは、隣のビルに跳び移ります。
隣のビルとはかなり距離がありますが、肉体を強化されているレプリカントであるロイは、跳び移ることができました。

逃すまいと、デッカードも隣のビルへジャンプします。
しかし、届かない。

わずかに届かなくて、
ビルの屋上の縁に指を引っ掛けた状態で無防備に宙ぶらりんになってしまいます。

その様子をロイは屋上から見下ろします。

二人の目線が合い、次の瞬間、ロイは何をするか。








デッカードを助けます。

デッカードの腕を片手で掴み、屋上まで持ち上げます。
しびれてもう感覚がなくなっているその手一本で、掴み上げてみせるんです。

助けられて屋上に転がされたデッカードは、わけがわかりません。

それを尻目にロイはヘナヘナと座り込み、自分の身の上話を始めます。

そして最後に。

"Time to die."(時が来た)

そう言ってロイは、静かに頭を垂れていきます。

それをデッカードは、ただ呆然と見つめます。

その時ロイの手元から白い鳩がパタパタと羽ばたいて、青い空に向けて飛んでいきます。


実は、空が青いのは、僕の記憶の限りでは、この1シーンだけです。

この『ブレードランナー』という映画は未来をディストピア的に描いています。
常に酸性雨が降りつづけ、ジメジメと薄暗い猥雑な路地を雑多な人種が蠢きます。

晴れ間すら見られることが少ないこの映画の中で、ただ1箇所空が青いシーンが、この白い鳩のシーンです。

ちなみに、このシーンで空が青いのは、僕の記憶では、「最終版(ディレクターズカット)」だけです。
僕が最終版を一押しするゆえんです。

 

 

 

さて、

本稿でとり上げたいのは、
この「白い鳩」です。

 

物語の最終盤に何の脈絡もなく唐突にロイが手に持っている白い鳩。
あれは一体何なんだ、と。

映画評論家や映画ファンの中で、あの白い鳩がどのように評されているのかは、僕は残念ながら存じません。
以下はあくまで僕個人の意見です。


あの白い鳩の意味について考えるとき避けては通れないと思うのが、

ロイはなぜデッカードを助けたのか?

です。

デッカードはロイを殺すために追いかけてくるのです。
その、言ってみれば天敵をなぜ助ける必要があるのか?

ここで思い出してほしいのが、
自分の死期が迫っていることにロイはすでに気づいているという点です。

ロイはもちろんデッカードを助けずに逃げることもできたはずです。


でも、それをして、そのあとロイはどうなるのでしょう?
おそらく、早晩彼の命は尽きてしまうのです。

そうなったら、どうでしょう。

彼はレプリカントです。密入国者です。
彼に関して捜査機関以外には何の記録もありません。

ロイが死んだら、おそらく身元不明の死体としてしか扱われません。

ロイという命が、二年間という寿命を彼なりに精一杯生きた、そんな歴史は誰にも知られることはなく、
自分が生きていたという事実さえ誰からも知られず、
ロイという存在は、この世から一切なってしまうのです。


でも、
デッカードを助けたらどうでしょう?

デッカードを助ければ、
少なくとも助けられたデッカードは、ロイのことをいやでも忘れないでしょう。
だって命の恩人なんですから。

そうやって、他人の記憶の中に生きることによって
二年を超える寿命を最後の最後でロイは得ようとしたのではないか、僕はそう思います。

ロイが死ぬと同時に羽ばたいていく白い鳩。
その白い鳩が、青い空 --- くりかえしますが、映画の中で空が青いのはこのシーンだけです --- へ向かって飛び去っていく。

あのシーンは、こういう言い方をしてよいものかわからないですが、
あのシーンだけ、あの映画の中でとても場違いなんです。
すごく場違いな感じ。
でもだからこそ、観ているこちらに強く印象として残るんです。あのシーンが。

それこそがまさに監督の狙いなんじゃないかな、と僕は個人的に思っています。

つまり、
観客にとってあのシーンが強く印象に残った。
それと同じように、
デッカードの記憶の中にもロイのことが強く印象に残った、と。

つまり、
ロイの宿願は、果たされたということです。


ひるがえって、たとえば、
イエス・キリスト
釈迦
孔子
クレオパトラ  などなど、
僕たちは、二千年以上前に生きていたこれらの人たちのことを知っています。

推測ですが、おそらく今から千年後の人たちも、これらの人たちのことは多分知っているでしょう。

ということは、それはすなわち、
彼らは三千年の命を得ているのと同じことじゃないでしょうか?

肉体は滅んでも人の記憶の中にその人があり続ける限り、生き続けている。
なお生命は続いているのだ。

そんなふうに考えるなら、ある意味
永遠の生命を得ることも不可能ではないのでかなと思います。


ロシアの文豪トルストイはこれを「真の生命」と言いました。

 

その著書である『人生論』という本から引用したいと思います。

 

わたしの兄弟は死んで、そのまゆはたしかにからになった。わたしには彼の姿をこれまで見てきたような形ではもう見られない。だが、彼がわたしの視界から消えたからといって、彼に対するわたしの関係まで消滅したことにはならない。わたしには彼についての俗に言う思い出が残っているのだ。

(トルストイ『人生論』岩波文庫、p186-187)

 

それは彼の死後も同じようにわたしに影響を及ぼしている。のみならずこの思い出は彼の生前よりも死後にはわたしにとって一そう拘束力のあるものになってきている。わたしの兄弟のうちにあった生命力は消え去ったり、減少したり、あるいはそのままで残っているどころか、以前にもまして大きなものとなり、一そう力強くわたしに働きかけている。

(トルストイ『人生論』岩波文庫、p187)

 

 

 

 

では!

 

 

 

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