こんばんは。
そろそろ、秋の気配を感じてもいい頃ですが、
まだまだ暑いですね。
書きたいことがないわけではないですが、
結局、月1回くらいの投稿となってしまっているブログです。
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しばらく前から国会などでも
「大津のいじめ事件」が話題となっています。
私は話題に完全に乗り遅れてしまい、
問題の本質がなんなのか、掴み損ねてしまっていますが、
いわゆる『いじめ」というより刑事事件の要素が色濃いようですね。
さて、今日は『いじめ』について、ではなく、そこから、
思ったことについて書きたいと思います。
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まず、この『いじめ』についてですが、
よく以下のような意見を聞きます。
・いじめはよくない。
・いじめを許してはいけない。
・いじめがない学校にしなければならない。
理想としてはその通りかもしれませんが、
現実には、いじめは今まで起きてきたし、
これからも起こり続けると思います。
こんなことを言うと、
「それを克服するために知恵を出し合うのが人の営み、人間の歴史」
などと反対されてしまいそうです。
いじめが起きないようにする努力はもちろん大切だと思いますが、
個人的に、もっと大切なことは、
いじめを解決できる人間性なり、社会を養うこと
ではないかと思います。
いじめが起きてる現場で、
「いじめをなくしましょう」
という主張は、的はずれだし、
いじめられてる当事者にしてみれば、
『理想の世界』は異国の地であり、
現実に対する絶望のを強めるだけではなのでしょうか。
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『いじめ』に限ったことではないですが、
私が知っていることは、
不合理なこと、悲惨なことは
起こってきたし、これからも起こるということです。
社会問題や大災害などは、
時として予想をはるかに超えるかたちで発生します。
どんなに知恵を絞っていても、何かの対策を行っていても、
知恵や対策の隙間、違う角度から、予期せぬ事態が発生してしまいます。
そして、それはこれから先も同様でしょう。
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きれいな世界、
きれいな言葉、
それらはとても魅力的です。
私もそういう世界になったらと思うこともあります。
しかし、現実には、うまくいくことばかりではないし、
嫌な出来事、不合理なことがあるということも事実だと思います。
理念を持ちそれを追うことは大切だと思いますが、
それと同時に現実に目を向けることも忘れてはいけないのだと思います。
最近の社会問題でのヒステリックさ、抗体のなさは、
無菌室で育つことによって、免疫力を低下させてしまっているような、
不気味さを感じます。
理想を求めるあまり、不都合なことに対して、
それから目を背ける、場合によってはそれを抹殺するような傾向
そこまでいくと、思考停止ですね。
人間のダイナミズム、人生の面白さは、
不合理の中にこそ生まれると思うのですが…
予期しない出来事にも対処できる、「しなやかさ」は持っていたいものです。
では