豊臣秀頼・淀殿ら自刀の地

 

 
1615年に大阪夏の陣で自害した豊臣秀頼・淀殿の最期の地です。
 
戦いの終盤になると秀頼らは、大阪城の矢倉に隠れていました。
 
そして敗北が濃厚になると一同この地で自害しました。ナイフ
 
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ドクロドクロ
 
 
 
 
大阪城の展示室の資料に秀頼についての古文書がありました。
 
身長195メートルの大男で、一人で動けないほどの巨漢だったそうです。
 
まあ、滅びた政権の長の跡取り息子なので、徳川の御機嫌取りに悪く書いた面も多いと思います。
 
戦国時代の日本人の平均身長が155センチのですので、控えめにみても巨人の類だと思います。
 
 
 
別の説では・・・
 
家康が、長身で立派に育った秀頼にカリスマ性を感じました。
 
自身の死後の政権における秀頼の影響力を恐れて、豊臣家を存続させずに滅ぼしたとも言われていました。
 
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まあ、歴史の闇の部分も多いですが・・・
 
「この場所で時代が変わったのだなぁ・・・」と思いました。
 
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次回は小腹が空いたので、ちょっと摘んでみたいと思います。
 
つづく