前々から見ようと思っていた「パーフェクトデイズ」、やっと行ってきた!
最終日近いのと、シネマズデイで、少し混みあっていた。

始まったら、不思議な感じだった。
何しろ、主人公がしばらく一言も発していない。
都内のトイレを清掃する彼の、ルーティンかされた毎日が淡々と続いていく。
毎日が同じことの繰り返しのようで、決して同じではない。
役所広司の表情がいい。

 

 

このささやかな世界は、孤独なようで、ちゃんと繋がっている人たちがいる。
それは、早朝の老女の竹ぼうきの音であったり、チャラい同僚であったり、

ホームレスの道化師であったり、神社の境内で昼食をとる知らないOLであったり、

仕事後に行く銭湯や飲み屋の店主や客であったり、古本屋の店主であったり、

部屋で育てている木々の苗たちであったり。

寂しくもない。


「世界は色々あって、君のお母さんと僕は違う世界にすんでいる」と、

家出してきた姪に言う主人公。
でも、お金的に豊かなそちらの世界を羨むことは全くない。
彼は満足しているから。


「足ることを知る」という言葉を思い出した。
ボロアパートの暗がりの中で眼を覚まし、空を見上げながら外に出る。
都内各所のトイレの掃除を誠実に丁寧にこなし、仕事後の銭湯と飲み屋へ向かう。
アパートの部屋に帰ったら眠くなるまで文庫本を読んで眠りにつく。
ささやかな平和な生活に満足と愛を感じている。
よけいな物のない部屋。シンプルという言葉もちょっと違う。新しい家電もない。
古本屋の文庫本とカセットテープレコーダーとたくさんの小さな木々の鉢。
なかなか、「足ることを知れ」ないのが人間だと思うけど。
自分と自分の世界に対する、深い満足。
 

 

シンプルな生活のお陰か、空の色、木洩れ日の様子、同じ時間に交差点で見かける人々、
同じ場所でも違うことに優しい目を向けている。
私だったら、急いで目的地に向かっていると全然気が付かない。
こんなふうに、ただ自分に満足して生きていたら幸せだろうな。

だけど結構、難しくない?


人は色々な"違う世界"を選んでいる。
子供時代はまだ、"共通"の世界にいて、偏見なく人と出会って交流する。
でも、成長する過程で、親の観念でそれぞれの世界に誘導されることが多いのかな。
そして、それが納得いかなくて、家出したり。
今だったら、ちゃんと理解して、自分で世界を作る子もいるのかな。
あの姪っ子ちゃんは、どんな世界に進んでいくんだろう?


「影は2人重なったら濃くなるのか、変わらないのか」と聞かれて
「変わらないなんてないですよ」と答える。

雑に見たらわからない。よく観察すればこそ。

「陰翳礼讃」を思い出した。

障子を通したやわらかな光と、それが創り出す影をもちゃんと見てきたのが日本人だ。

フランス人の監督はそれもご存知なのだろうか。


この映画のレビューを読んでみたら、受け止め方は色々だった。
今の世の中では、単調と空白は悪と思う人も多いのだろう。
心の余白を持ち続ける人と、全部何かで埋めてしまう人といるから。
私も余白がない方だったけど、
こんな生活もあったんだ、って、涼やかな穏やかな気持ちになった照れ

もう一度観たらどんなことに気付くかな?

 

 

あと、主人公が「毎回ドアのカギを掛けないで仕事に行く」って

不審がってるレビューが多かったけど、

昔ながらのボロアパートのドアって、ボタンを押して閉めたら鍵かかるんだ。

学生の時住んでたから知ってるの!チュー