地球一周旅行 №10 (パリ その1)   通し№1773

視察旅行も今日で10日目の中日となりました。
パリも二度目で、20年前とあまり変わらないので、同じ所はコメントは少なめに、写真中心で、初めての所はガイドさんの説明を参考にしてアップします。
 
ブリュッセルから列車で、12時54分パリ北駅に着きました。
列車からスーツケースを下ろして駅前に停車しているバスに向かいます。
 
パリ北駅は、ヨーロッパで一番乗降客が多いフランス国鉄の駅です。
かつてのシベリア鉄道の終着駅もここだったそうです。
開業は1846年ですが、レトロな現駅舎はフランスの建築家ジャック・イトルフの設計によって1865年に完成したものです。
 
ロマネスク様式の駅舎のファサードには沿線の諸都市を象徴した23の女神像が飾られています。
とても駅とは思えない建物は、パリの歴史的記念物に登録されています。
 
パリ北駅からはバスでガイドさんの案内を聞きながら市内周遊です。
ドライバーがイケメンのパリジャンです。
 
まずは、マゼンタ通りを抜けてセーヌ川に出ます。
白を基調とした石造りで、道路幅に応じて建物に高さ制限が設けられた、パリ独特のアパルトマンが並んでいます。
 
左に見えますのが、かつてバスティーユ牢獄があった「バスティュー広場」でございます。
1830年に起きたフランス7月革命を記念して建てられた記念柱が建っています。
 
記念柱の高さ50mで、てっぺんには「鉄の鎖を破壊して飛び去り、光を照らす自由」を表している「自由の精」が取り付けられています。
左足は球体の上に置かれ、右足は上げられ、翼を広げて額の上には星があります。
左手にはちぎれた鎖を、右手には文明のたいまつを持っています。
車中からでは撮影出来ませんので、写真はお借りしました。
 
アルセナル通りを進みます。
 
やがて左手に「セーヌ川」が現れました。
「アルシュヴェシェ橋」を渡って「シテ島」に入ります。
 
シテ島に浮かぶ「ノートルダム大聖堂」が見えて来ました。
 
 
バスを降りてノートルダム大聖堂を見物します。
 
白い貴婦人バックシャンをバックにパチリ
 
建物の外壁を補強するため、屋外に張り出すかたちで設置された「フライング・バットレス」が特徴的です。
 
最上部には「シメール」と呼ばれる架空の怪物が何十体も設えられています。
角を生やしていたり、翼を背負っていたり、それぞれにユニークな姿で大聖堂を守り周囲を威嚇しているそうです。

ノートルダム寺院を設計した建築家が、ギリシャ神話に登場する奇怪な動物のキマイラからヒントを得てデザインした魔除けの造作物との事でした。

 
上の方の画像が撮れないので写真はお借りしました。
 
寺院の正面に回ります。
 
「お久しぶりでございます、お元気でしたか」と呟きましたが、これから29年後に起きた大火災で屋根の尖塔が崩落するとは、思いもよらぬ事でした。

 

『 鐘楼の せむし男の 愛深し 』

 

師匠の川柳は・・・

『 鐘楼の 響きが胸に 柔らかい 』

   ・・・せむし男の気持ちが鐘の音に託されているようです。


ファサードには3つ門があります。

右がカテドラルの入口になる聖アンヌの門で、中央が最後の審判の門、左がカテドラルの出口になる聖母の門です。

上の方にはユダヤとイスラエルの王28名の彫像が並んでいます。
 
最後の晩餐です。
 
最後の審判のキリストの左右には、十二使徒が控えています。
 
えーっ、首を持った像がありますよ。
ローマ時代にパリ付近で斬首された殉教者が、切り落とされた自分の首を持って歩いたという伝説の聖人「聖ドニ」の像だそうです。
 
左扉の左側壁面右側に「微笑の天使」と呼ばれる有名な像があります。
 
『 エンジェルの 微笑み受ける 二刀流 』

 

師匠の川柳は・・・

『 二刀流 経済回す テコにする 』・・・経済効果に貢献していますね。

 
独特の微笑と、S字カーブの身体を持つスタイルは、「優雅形式」と呼ばれる王宮芸術だそうです。
優雅に笑いながらガッツポーズをしているように見えます。
 
では、大聖堂に入りましょう。
 
中に入ると、まずカラフルなステンドグラスが目を引きます。
 
全長130m、幅48m、高さ91mという大きさで、内部身廊の天井高は35mと圧倒的な開放感があります。
 
「バラの窓」と呼ばれる、直径13mのステンドグラスが華やかに内陣を照らしています。
 
 
ガイドさんの説明も熱がこもって来ました。
 
 
 
側面にもステンドグラス
 
 
中央祭壇にキリストの苦難をしのぶ聖母子像があります。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で見たのと同じようなピエタ像です。
十字架から下ろされたキリストを抱いてその死を嘆く聖母マリアの彫刻で、サン・ピエトロ大聖堂はミケランジェロ作でしたが、こちらはルイ13世の要望で作られた「ニコラ・クストゥー」の作です。
 
この方はどなたかと思ったら「ジャンヌ・ダルク」さんでした。
ジャンヌ・ダルクは百年戦争のオルレアンでの劇的な勝利で英雄になったが、その後1431年不当な裁判で火あぶりの刑になります。
24年後の1455年に、ノートルダム大聖堂で復権裁判が開始され無罪になり、晴れてフランスの守護聖女としてノートルダム大聖堂にジャンヌダルク像が置かれることになったそうです。
 
ロウソクを灯して祈りを捧げる様子は、日本のお寺と変わりませんね。
 
ガイドさんのお陰で、20年前とは違った視点で回る事が出来たように思います。 
 
ノートルダムをあとに、アルシュヴェシェ橋を渡り「カルチェ・ラタン」界隈へ向かいます。

 

セーヌ川にはクルーズ船も走っています。

 

カルチェ・ラタン、ソルボンヌは学生街です。

 

パリ大学を始め、名門校が集中しています。

 

元はリュクサンブール宮殿の庭園だった「リュクサンブール公園」が見えます

 

マロニエの木々の間に「自由の女神」が立っています。

セーヌ川の中州に立つ自由の女神とは違う、もう一つの知られざる自由の女神です。

 

車窓からのビデオ画像ではよく分かりませんので写真をお借りします。

これは、ニューヨークに贈られた自由の女神を作る準備のために製作された、高さ2.7mの像だそうです。

ニューヨークのものは高さ34m、台座からだと93mあります。

 

車道と歩道の間にある溝から水が溢れ出ています。

これは水道管が壊れているのではなくて、清掃用に使われる水です。

 

サンジェルマン大通りを進みます。

 

 

左手に「ブルボン宮殿」が現れました。

現在この建物は、国民議会(下院)議長公邸に使われています。

 

ブルボン宮殿のファサードには金文字で「アセンブル・ナショナル(国民議会)」と記されています。

 

コンコルド橋を渡ると、そこは「コンコルド広場」です。

 

リヴォリ通り方面

 

広場の中心部にはエジプトのルクソール神殿のオベリスクが置かれています。

 

 

公園で一休み

 

20年前には、同じ場所でこんな経験もありました。

 

シャンゼリゼ通り越にエッフェル塔も望めます。

 

シャンゼリゼ通りの西奥に「凱旋門」も見えています。

 

北側には「アンヴァリッド」の金のドームが輝いています。

ルイ14世が傷病兵を看護する施設「廃兵院」として建てました。

ここに「ナポレオン」が眠っています。

 

コンコルド広場を後に、シャンゼリゼ通りを西へ進みます。

 

来月はクリスマス、通り脇にはクリスマス・イルミネーション用のモミの木が用意されています。

 

 

「VOLVO」の隣に「MACDONALD」の看板が見えますが、「M」のマークが「黄色」でなく、景観に配慮して「白色」になっています。

 

エトワール凱旋門が近づいて来ました。

 

凱旋門の上に人が立っているのが見えます。

屋上のテラスまで上がることが出来ます。

あれから20年、凱旋した気分になりました。

 

エトワール広場(シャルル・ド・ゴール広場)は信号がないので、車で走るのは難しい。

ここは、世界に名だたる「ドライバー殺し」の難関道で、初心者は抜け出せないそうですが、我がイケメンドライバーは難なく抜けて行きました。

 

エトワール広場をくるっと回って、イエナ通りに入り、エッフェル塔へ向かいます。

 

次回はつぎの水曜日 「パリ その2」へつづく