山陽道 №210 (上嘉川~割小松峠) 通し№1732

 

 

特徴のない町だなあと言いながら歩いていた上嘉川でしたが、街道らしい古民家が現れて来ました。

 

こういう家が街道の雰囲気を盛り立ててくれます。

 

でも、新しい家も混在してきて微妙です。

 

 

恵比須神社です。

神社なのに鳥居がありません。

 

門前に碑があります。

 

日露戦争時の首相で、桂小五郎とは桂家の一族だった「桂太郎」の揮毫で、「本間源三郎頌徳碑」が建っています。

本間源三郎は、ここ嘉川村の出身で、農兵隊のリーダーとして活躍し、村の戸長、山口県会議員、衆議院議員を務めた政治家です。

 

再び古民家、ホッとします。

 

 

石の祠があります。

 

嘉川霊場第六十五番とあります。

 

弘法大師様が鎮座されていました。

 

 

トタン被せ茅葺屋根も、田舎の街道風景には欠かせないものになっています。

 

また、祠が現れました。

 

 

またまた、弘法大師様です。

 

これはトマソンの範疇に入るのかな ? 窓付きです。

 

県道335号を横切ります。

 

信号に「山口市嘉川 市」と、「市」の字が離れています。

これは市場の市なので、くっついていたら紛らわしいので離しているのでしょうね。

嘉川は、古くから賀宝(かがほ)の里といわれ、山陽道の「市」として栄えた間の宿場です。

 

 

何時ものようにコンビニでは、こまめにトイレをお借りします。

したくなくても出来る時にやっておかないとって感じです。

 

 

こんな所にお好み焼き屋が。

店は閉まってました。

 

 

嘉川福岡の交差点で県道335号線に再び合流します。

 

 

道も広くなりましたが、県道を斜め左に横切るようにすぐに左の旧道に入ります。

 

場違いと言っては失礼ながら、お洒落なドイツ菓子屋さんがありました。

 

コミュニティタクシーのイラストも可愛らしい。

 

道筋から少し中にあったので、うっかり「秩父宮雍仁親王御休息所記念碑」を見落とすところでした。

碑文は劣化して読めません。

 

建材店にしては不格好で不安定に見える建物です。

 

すぐ先に、嘉川八十八ヶ所札所と地蔵堂が並んでいます。

 

この石仏は「中野三仏」と書かれています。

向かって右は正徳3年の地蔵菩薩、真ん中は寛政8年、左は天明9年のもので、どうやらお地蔵様ではなさそうです。

もう少し説明が欲しい所です。

 

大師堂の中を覗いたら、これもお地蔵様のような、そうではないような。

 

中野三仏の横にある左の小さな道標には、「右 厚狭郡山中船木、左 吉敷郡阿知須床波」とあります。

右の「百万一心」碑は、字を分解すると「一」「日」「一」「力」「心」とも読めます。

以前、四辻の大村益次郎の像の所にもあった「一日一力一心」と同じ意味の碑で、毛利元就が人柱の代わりに建てた一致団結のスローガンです。       

 

嘉川地域交流センターにベンチがあったので少し休憩します。

 

向かい側が上中野区公民館です。

 

工場も混ざって来ました。

 

山口中央農協嘉川支所は年季が入っています。

 

 

 

下中野公民館

 

再び住宅街です。

 

幸之江橋で幸之江川を渡ります。

 

幸之江川

 

橋を渡るとすぐ左に道標がありました。

 

「山陽道と白松道の道しるべ」です。

さっき見た道標の阿知須床波へ通じる追分になっています。

 

一階の格子が壁のように端から端まで長く続いている珍しい建物です。

 

旧道は幸の橋交差点で県道に戻りましたが、ここから今度は県道を横切り右斜めへ進みます。

 

新山口行きの宇部市営バスが走って来ました。

 

右の旧道に入ります。

 

 

「熊野神社」の鳥居が現れました。

 

全国に3000社あると言われる熊野神社ですが、この地では鎮守社として親しまれているらしい

 

 

本殿まで遠いので鳥居から遥拝させて頂きます。

 

写真も鳥居から望遠で失礼します。

 

 

右手に山陽新幹線が近づいて来ました。

 

 

おっと❗️ 蛇の死骸を踏むところでした。

車に敷かれたのでしょうか、ぺちゃんこになっています。

ご冥福をお祈りします。

 

 

大屋根の家が見えます。

 

近付いてみると、一階はリノベ、二階は虫籠窓、もうすっかりお馴染みのスタイルです。

 

何故か庭先に「天満宮」

 

 

 

熊野神社御旅所に姿の良い灯籠が建っていました。

 

これから太陽光発電パネルを取り付けるのでしょうか。

 

 

やはりそうです。

江崎発電所と大層な名前が付けられています。

 

先日、大阪・関西万博での実用化が期待されている「空飛ぶクルマ」が、大阪城公園で、パイロットの操縦によるテストフライトが行われました。

一方、ソーラーカーの方は、なかなか実用化が進んでいません。

大気汚染対策として有効だと思うので、早く実用化を目指して欲しいと期待します。

 

『 ソーラーで 走る車に 期待込め』

 

師匠の川柳は・・・

『 雨の日も 陽の方向に 手を合わす 』

  ・・・日の出に手を合わすのは登山の最高の醍醐味です。

 

 

 

こういう家に憧れるなあ。

 

 

 

 

 

山口宇部道路と呼ばれる県道6号線の下を潜ります。

 

左手は嘉川インターチェンジになっています。

 

 

 

ここからインターチェンジをカーブしながら切り裂くように進みます。

 

 

 

 

インターチェンジを抜けたら、次は山陽新幹線を潜ります。

 

歩道があるので助かります。

 

鉄筋工業とありますが、資材置き場のようです。

 

 

県道335号線から国道2号線に合流します。

 

歩道を歩きましょう。

 

下関まで51kmです。

 

脇道が広いのでトラックが休憩駐車の列をなしています。

 

 

少しだけ左の旧道に入ります。

 

 

鳥居に「ゴミを捨てないで」と書いています。

 

旧道はマイカーの駐車でいっぱい。

こんな所に車を停めて、一体どこへ行くのでしょうか。

 

こちらの鳥居には「美化神社」とあります。

不法投棄対策の鳥居でした。

琵琶湖を歩いていた時に立小便防止対策の鳥居を見ましたが、これって日本人の信仰心を利用した対策ですが、効果のほどは疑問です。

 

『 鳥居建て 不法行為に 神頼み 』

 

師匠の川柳は・・・

『 籤を当て 百歳までと 神頼み 』

 ・・・宝くじが当たったら百歳まで生きても楽しいかも。

 

 

国道から少し入った旧道脇というのは、不法投棄をしやすい場所になっています。

 

この辺りに「割小松一里塚跡」があるというが見当たりません。

国道に出ると「おいはぎ峠」の看板が目に飛び込んできました。

 

イイ感じのドライブインです。

 

「おいはぎ峠」となっていますが、これは店の名前で、峠名は「割小松峠(わりごまつ)」です。

資料によっては「割木松峠」とも書かれています。

防長の境にあった松を両国の農民が争って切り取ったための地名ということなので、「割木松」が正しいのかも知れませんが、地図には「割小松」となっています。

追い剥ぎ」の語源は、「旅人を追いかけて衣服を剥ぎ取る」ことに由来しています。

今では車の往来も多く賑わっていますが、昔は寂しい峠道で、野盗や山賊の稼ぎ場所だったんでしょうね。

 

営業中ですよ。

時刻もドンピシャの12時。

昼食のおにぎりは持っているけど、ここは入るしかないでしょう。ニコニコ

 

定食はすべて税込み1000円です。

 

“鉄板茶そば定食”を注文しました。

 

支払いは新山口の東横インで貰った「旅々やまぐち割プラスクーポン」を使わせていただきました。

ラッキーグッ

 

次回はつぎの土曜日 「割小松峠~木田橋」へつづく