京都周遊№36 京都五山送り火

 

前回、泉屋博古館がまさかの休館だったので、五山の送り火の夕方までここで時間つぶしをする予定が無残にも壊れてしまったところまでを書きました。

昼間に外を歩くのは暑くてもう限界だったので、涼しくて時間をつぶせると言えば、まず思い浮かべるのが映画館、図書館、漫画喫茶、パチンコ・・・などなど。、

しかも、場所は五山の送り火を見る場所として出町柳の加茂川べりと決めていたので、京阪沿線の駅近くというのが条件になる。

映画なら新京極のMOVIX京都、河原町備前島の立誠シネマプロジェクトといったところだ。

図書館なら岡崎公園の府立図書館、漫画喫茶なら四条河原町に何軒かある。

パチンコは祇園四条でたしか2~3件見かけたなあ。

どれにしょうか迷ったが、出町柳の店を予約しているので交通の便を考えると河原町ということになる。

東天王町からは市バス5系統の京都駅行きに乗れば河原町三条か四条河原町で下車できる。

とりあえずバスに乗り、河原町三条で下車した。

新京極まで行き、MOVIX京都に入った。

 

上映していた「スパイダーマン ホームカミング」を見ることにした。

はじめはしっかり見ていたがそのうち眠くなっていつの間にか眠ってしまったようだ。

気づくとちょうど終わったとこだった。

三条大橋まで戻り、京阪三条駅から京阪出町柳駅まで乗り、鴨川デルタのちょっと北西にある葵橋西詰からちょっと西に入ったところにある「割烹きよす」へ向かった。

 

 

夕方近くになるとだいぶ涼しくなってきた。

「去年は雨で雲が垂れ下がりよう見えんでしたわ」と近くにいたおじさんが言っていた。

今年は間違いなく見れそうだと期待しながら予約していた「割烹きよす」に入った。

 

この店は「漬物寿司」が名物です。

すしネタが京漬物という、京都ではお馴染みのお寿司です。

ネタが漬物なので醤油をつけなくても味がしっかりついていて美味しいです。

漬物の名店「西利」の漬物寿司も旨かったが、ここもなかなかのものでした。

カウンター席で、写真を撮るのが気が引けたので、店の提供写真をアップします。

 

 

あたりはすっかり夕闇に包まれてきたところで表に出、鴨川デルタに行った。

 

京都五山の送り火は、毎年8月16日に行われる、東山如意ケ嶽の「大文字」をはじめとする京都市内の5つの山に送り火が点火される伝統行事で、葵祭・祇園祭・時代祭とともに「京都四大行事」の一つとされている。

銀閣寺前で奉納した私の護摩木は東山如意ヶ嶽で焚かれるので、特に大文字が見える場所として、ベストポジションになる出町柳の鴨川デルタを選んだ。

川沿いには大勢の人が思い思いの場所にシートを敷いて座り込んでいた。

すでに私の座る場所はどこにもない。

皆さん明るいうちから場所取りをしているらしいが、暑い中、我慢して場所取りをするより、座れないのを我慢するほうが良いと、痩せ我慢を張って立ったままで見ることにした。

 

点火の時刻は、「大文字」(東山如意ヶ嶽 20時00分点火)
「妙・法」(松ヶ崎西山及び東山 20時05分点火)
「船形」(船山 20時10分点火)
「左大文字」(大北山 20時15分点火)
「鳥居形」(嵯峨鳥居本曼荼羅山 20時20分点火)という予定になっている。

以上の五山で送り火が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊があの世へ帰れられるのを見送ります。

送り火の始まりは平安時代初期の弘法大師説、室町時代中期に足利義政が、江戸時代初期に近衛信伊(このえのぶただ)が始めたのではないかという説がある。

確実なところでは公家の橋秀賢の記した『慶長日件禄』に出てくるが、近年、大文字山が銀閣寺の所領だったという古文書が発見されたため、地元では足利義政が始めたという説が有力になっている。

いずれにしても、公式記録がないので、民衆から生まれた行事ではないかとも言われている。

多くの謎に包まれた五山の送り火、午後8時、いよいよ点火の時間がやってきた。

如意ヶ嶽の方向に目を凝らしていると、一つ二つと続いて松明の灯りが揺れている。

火床に点火が始まったようだ。

大文字の火床は75あって薪の数が600束ほどあるそうです。

やがて真っ暗なキャンバスに「大」という字が細く浮き上がった。

その「大」の字がしだいに太くなって行き、しっかりとした「大」の字が浮かび上がった。

周りから祈りとも、叫びともつかないような、おぉーというような歓声が沸き上がる。

白昼に見る「大」の字よりも遥かに大きな「大」の字だ。

あの中に私の護摩木も燃え上がっているのだと思うと、思わず手を合わせご先祖のお精霊

さんをお見送りした。

 

川上の方へ行くと「妙法」が見えるかも知れないと思い、高野川に沿って歩いてみた。

辺りが暗いのでどのあたりまで歩いたかさっぱり分からず不安になってきたが、遥か遠くに「妙」と「法」が見える所までやって来た。

 

「妙」と「法」を望遠でアップする。

肉眼では良くわからなかったが、望遠で見ると炎が燃え上がっている様子が写っている。

昔の書き順だと右から「妙・法」になっていなければならないが、逆になっているのは先に「妙」が松ヶ崎西山に出来た。

後になって「法」を作ろうとしたが、松ヶ崎西山の西側には見える山がないので、しかたなく松ヶ崎東山に作ったので、左から「妙・法」となったらしい。

しかも、「妙」は行書体で「法」は隷書体になっているので、法が作られた時代が違っているのが明らかである。

 

 

明治の初期まで、「大」「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の五山以外に、妙法の後ろの静市市原に「い」、左大文字の左の鳴滝に「一」、その左の北嵯峨に「蛇」、つづいて長刀の「長」、そして鳥居形の左の松尾山に「竹の先に鈴」を加えて十山あったという。

当時は十山すべてが一度に見えた訳ではないと思うが、それでもビルがなかった時代なので一度に複数の送り火が見えたはずだから、さぞや壮観だったろうなと思う。

 

辺りが暗いので慎重にもと来た道を歩く。

どこをどう歩いたかさっぱりわからず、果たして元に戻れるのか不安がつのってくる。

とにかく川沿いを歩けばと思い、いつも街道歩きで持っている携帯用の懐中電灯を照らしながらなんとか鴨川デルタまで戻って来た。

すでに「大」の字は消えかかっていた。

大の字の真ん中だけはまだ燃え盛っていたが、それもやがて消え山は真っ暗闇になった。

 

 

山梨県笛吹市の送り盆の行事「甲斐いちのみや大文字焼き」で、火の代わりに「大」の形に並べたLEDが点灯されたというニュースを聞いた。

京都だけはしっかりと伝統を守って火を焚き続けてもらいたいものです。

 

次回は明後日「鞍馬寺九十九折」へつづく