予告!! 来年の1月1日より「中山道・風雲録」を始めます。

東京・日本橋から中山道を京都・三条大橋までの街道歩きの旅です。     乞うご期待!!


銀座四丁目の交差点を南へ渡り中央通りを東側へ歩いた。

まず最初は、日産自動車のショールーム「日産ギャラリー」で、新車が発売されると数日間展示されるので見たり触ったり出来る。

現在リニューアルのため閉館工事中である。


つづいて飲食店が多い商業ビル「銀座コア」、料亭の「加賀屋」、イタリアブランドの「プラダ」、美と健康の「ファンケル」、婦人服の「ジェオックス」「銀座松阪屋」と並ぶが松坂屋は無くなってしまった。

 

 

 


閉店理由は建物の老朽化による建て替えで、隣接するビルなどと一緒に再開発を実施し、複合ビルなるというが直営店としても松坂屋は戻って来ないらしい。

跡地の前に「商法講習所」の碑が建っていて、「これ現在の一橋大学の発端なり」と書かれていた。

 


銀座六丁目交差点を越えると「ライオン」というビヤホールがある。

昭和9年に出来た日本最古のビヤホールである。



 


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階が280席ある大ビヤホールで、2階がレストランになっている。

正面奥の壁画は壮観でいつまで見ていても飽きない。

とりあえず“生ビール”と“ドイツ風ビヤプレート” か“ソーセージ5種盛合せ” を注文しておけば間違いない。

我が神戸にも「ミュンヘン」という“鶏のから揚げ”が名物の素晴らしいビヤホールがあるが、とてもここの雰囲気には及ばない。

ここのビールは“サッポロ”と“ヱビスビール”で、生ビール注ぎの名人がいる。

全国のビヤホールを回った訳ではないが、ここの雰囲気は日本一ではないかと私は思う。

    


洋服の「ザラ」、スイス時計の「スウォッチ」、免税店の「ラオックス」、「葵美術」、スウェーデンの衣料チェーン「H&М」、「ヤマハ」、時計の「日新堂」、スイスの筆記具や時計の「モンブラン」とつづく。

 

 

 

 


銀座七丁目交差点を渡ると三菱東京UFJ銀行の次に工事中の銀座ショールーム「エクセルヒューマン」、「カフェー・パウリスタ」長崎料理の「銀座吉宗」、洋装の「インブルーム」、オーストリアのクリスタルガラス「スワロフスキー」、メガネの「和真」とつづく。

 

 

 


和真のオリジナルフレームで、マグネットパッドを上下させることで遠近両用レンズの中間部がずれて見やすくなるというメガネを橋爪功のCMにつられて購入し、掛けていたが最近は近景を見るときはメガネを掛けない方が楽になってしまい和真のメガネは使っていない。

 


銀座八丁目まで、アクセサリーの「フラッグシップ」、イタリアの紳士靴「ア・テストーニ」とつづき、締めくくりは天ぷらの「天國」で終わる。

 

 


その先は、神戸一郎の歌にある「銀座九丁目は水の上」で、そこは昔の汐留川、今は埋め立てられて東京高速道路の高架が横たわる。

高架の下に「銀座の柳二世」と書かれた“柳の木”が一本植えられていた。


銀座のシンボルと言えば「柳」であるが、当初は街路樹として柳の他にも松・桜・槇なども植えられていたが育たずに柳だけになってしまったという。

大正10年に銀杏に植えかえられたが、昭和4年に『昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を 誰が知ろ ジャズで踊って リキュルで更けて 明けりゃダンサーの 涙雨』の歌詞でお馴染み、佐藤千夜子の「東京行進曲」がヒットしたことから再び柳並木が復活した、
ところが、東京大空襲でほとんどが焼失し、その後復活したものの、昭和
43年に銀座通が改修され柳並木がなくなってしまった。

勝又さんという人が無くなったはずの柳が日野市に移植されていたことを知って、勝又さんは早速50本の枝を譲り受け、町会の椎葉さんという人と共に、挿し木にして自宅の庭で育てたのがこの「銀座の柳二世」という。

四家文子の「銀座の柳」という歌も発売されたがあまりヒットしなかった。


次回、12月20日(土)も「銀座」です。