3 淡路びわ発祥の地


             
  

大川公園一帯は、弥生時代から古代にかけてに塩づくりを行っていたと言われる貴船神社遺跡があり、石敷炉(いしじきろ)が確認された遺跡で塩づくりの過程が推測できるらしい。

ということで古代の塩づくりの様子を人形で表現している。

  

  

  

  

  
   
また、塩づくりに携わった古代人は万葉集や日本書紀にみられる野島海人(のじまあま)と考えられ、「
朝凪に 楫
(かじ)の音聞こゆ 御食つ国(みけつくに) 野島の海人(あま)の 船にしあるらし」と、万葉集の山部赤人(やまべのあかひと)の歌が書かれていた。

山部赤人といえば百人一首の「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」でお馴染みの人である。

  
 
大川公園をあとにしばらく行くと、海辺に漁網が干してあったが、干し網もこれだけ集まると素晴らしい絵になる。

 
 
  
  
岸壁に打ち寄せる波が飛沫になって、ドーンという音と共に時々道路にはみ出してくる様は迫力がある。

  
 
轟木地区に入ると「淡路びわ発祥の地」と看板が立っていた。

この辺りは山田品種の枇杷の産地ということで6月頃が最盛期になる。

私の出生地である五色町にも庭に枇杷の木があって、直接もぎ取って食べた記憶があるが、それは普通の事で淡路島の名産だったとは知らなかった。

  
 
1km
ほど行き野島漁港のある蟇浦
(がまうら)地区に入ると野島憩いの広場がありそこでしばらく休憩していると、爺さんが近づいて来てよそ者と思ったのか「歩いてるんけぇ、おまはんどっからきたんよぉ」と懐かしい淡路弁で話しかけてきた。

戦時中、私の母親の疎開先が淡路島の伯母の家で、そこで生まれた私は淡路生まれ神戸育ちであるが、よく淡路島に行っていたし、淡路に親戚も多いので淡路弁に親しみがある。

「島を一周しょんのょ、おっちゃんとこは地震どないやったんけ」、「おまはん地のもんけ」、「神戸から来たけど生れは淡路やねん」と返すと、「家は壊れてしもてのぅ・・・」と辛そうな表情で顔が曇ったので話をやめた。

神戸もすごかったが、この辺りは震源地だけにすさまじい揺れだっただろうと思う。


野島八幡神社の前を通り、北淡町まちかど広場公園、野島が崎公園と公園がつづく。

  

  

  
   
野島漁港から妙見堂を見たあと枇杷の絵がある野島橋を渡ると、サンテレビのコマーシャルでよく見る天然ラドン温泉「海若
(わだつみ)の宿」がある。

  

  
 
つづいて北淡県民サンビーチの海岸を右手に進むと、「←野島断層」の標識があり左折すると北淡震災記念公園になる。

  

  
  
「北淡震災記念公園」つづく