12 坂東太郎を渡る

 

行幸湖からしばらく行くと日本橋から13里目になる小右衛門(こうえもん)の一里塚がある。

 

 


さらに進むと東北新幹線が行く手に横たわり、街道は新幹線の高架の下をくぐって行く。

 

  
 
しばらく行くと左手に栗橋大一劇場がある。

ここはれっきとした??ドライブイン型のストリップ劇場である。

こんな所にこんなものがあるとは、ただただ驚きである。

2010年栗橋町が久喜市に合併されたのを期に栗橋大一劇場よりライブシアター栗橋に名前を変更したらしい。

  
 
ここから国道4号線と別れて左へ旧道に入る。

すぐ先の川通神社の前をすぎしばらく行くと会津見送り稲荷に到着。

 

 


この稲荷の由緒は、会津藩主の参勤交代で藩士が江戸へ書状を届けるためにこの地まで来ると、地水のため通行できず、街道がどこかも分からなくなり困っているところへ、白髪の老人が現われ、道案内をしてくれたので、藩士は無事に江戸へ着き、大役をはたせたという。

 

また一説には、道が通行できず、大いにあせり、大事な物を忘れてきたことに気づき、そのために死を決意した際、この老人が現われ、藩士に死を思い止らせたともいわれている。

後になってこの老人は狐の化身と分かり、稲荷神社として祀ったとされています。

  
 
見送り稲荷から先へ進むと街道は国道126号の下をくぐり、炮烙地蔵、浄信寺をすぎると東三丁目の交差点に出る。

 


街道は真直ぐ行くところをここで左折し、2kmほど遠回りとなるが、栗橋駅近くにある静御前の墓に寄り道することにする。

  
 
静御前の墓は公園になっていて、古い墓石が厨子に安置されていたり、義経の招魂碑や静御前の歌碑があったりと綺麗に整備されていて他の歴史上の人物にも決して引けを取らないほど立派な墓所公園である。

  
 
静御前は義経同様、死後の伝説が沢山あり墓も岩手・福島・新潟・長野・奈良・淡路・福岡・山口・香川など全国にあって、ここもその一つである。

私の故郷淡路島の津名町にもあって、ここに負けないぐらい立派な墓がある。

  

  

               

          
           栗橋町のマンホール 町花サルビア・利根川レンギョの産卵・燕・栗橋の街並み

栗橋の利根川では5月下旬から梅雨時にかけて、珍しい「レンギョ」の産卵が見られるそうです。

栗橋・利根川のレンギョの産卵
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栗橋駅前から県道147号線を歩いて元の街道筋まで行き、しばらく北上したあと八坂神社前の信号から利根川橋南詰まで川沿いに戻る。

 

  
 
江戸時代の利根川は東海道の大井川と同様、江戸防衛のため橋も架けず渡船でむすんでおり、将軍が日光東照宮参拝のときだけ和船を並べ、板を渡した船橋を作った。

私が渡ったときは上り橋が工事中だった。

国道4号と125号は古河市から久喜市の間が重複しているので、この事を知らないと紛らわしい。

橋の長さは641mなので、東海道で渡った長良川・木曽川・大井川・天竜川の橋と比べると短いが、利根川の中流に架かる橋ということを考えれば、利根川がいかに大きい川であるか、坂東太郎の異名どおりである。

  
 
橋の中央が埼玉県久喜市と茨城県古河市の境界になり、茨城県の鳥であるヒバリの欄干の透かし彫りが、これから県境を越えるぞーという気分を高めてくれる。

  
 
「房川渡」へつづく