🚉乗り鉄タラタラとろとろ旅烏🐦
~山陽路気まま旅Ⅱ~
このバスに乗ると、童話の世界に行くことが出来る🚌
2023年9月27日(水)
JRが出した東日本と北海道3日間乗り放題、という切符が期間限定で発売されたので、それを使って日本海周りではなく久々に
東北本線を使った〝乗り鉄〟をやってみようと思い出かけることにした。
この路線は何といっても乗り継ぎがよく、どんどん進んで行く気がする🚉
宇都宮までは上野東京ラインや湘南新宿ラインが充実している。黒磯、白河、福島、仙台、一関、小牛田・・・などで乗り継ぎながら、11時間半各駅停車に揺られ、雨もよいの盛岡に到着した。さすがに駅前のホテルにチェックインした時は、かなりへばってしまっていた
翌日
「なな・なんと」
いわて銀河鉄道が、大雨の影響で運休になってしまっていた
この切符は、いわて銀河鉄道と青い森鉄道も、青春18切符とは違って利用できるというのが大きな特色だったので買ったのに・・・である。
駅員に訊ねると、まったく復旧の目途が立っていない、ということだ。
どうしようもない。
新幹線を使おうか、と思ったが、待てよ・・・
バスがあった
10時5分盛岡駅西口バスTから発車のあすなろ号に乗ることにした。¥3,600‐出費は出費だけど、大雨だし、こういうことは旅につきもの。おまけに乗車している人は私を含めて5人。ガラガラ楽ちんバス旅なのだ
10月2日(月)
青森での所用時に、腰を痛めてしまい、簡易鍼を自ら打って凌ぐことに・・・
羽州街道を大館からてくてくトボトボ進んで行こうと思っていたのに、ホテルでずっと養生していたのだ
なんとかこの日、荷物を背負って歩けるようになり、チェックアウトできた。幸なことにホテルの前のバス停から大館駅までミニバスが運行してくれていたので助かった
大館駅は改装工事中で、駅舎もプレハブ仮設🚉
構内はなんだかワヤクソなのだ
腰をダマシダマシ気を遣いながらの危うげな旅だ
足なんか組んじゃいけないことはわかっているけれど、とにかく楽な姿勢を取るしかないわけ
今回は代行バスに乗せられることもなく、秋田まで奥羽本線に揺られ到着
秋田で乗り換え、奥羽本線各駅停車で新庄に向かう
この駅名は、やっぱりついついシャッターを切りたくなるのだ。降りてその辺を歩いてみたくもあったのだけどね
横手駅で下車し、横手焼きそばでも食べようと駅前を散策したけど、どこにもそれらしきお店がなく、大きなビルを建てているのか壊しているのかわからない工事が行われていて、また駅に戻って来てしまった
北上線に乗り換えてみるのも良いなぁ~・・・とプラットホームを行ったり来たりしたけれど、所用があって、天童まで行かなければならないので、また今度、ということに
新庄行きに乗る
新庄駅でブラブラ・・・
こんな看板を発見
なんとなく意味は分かるのだけれど、こういうのをきちんと方言で書いているところがなかなかだね
関西弁なら〝抑止 してこましたけ?〟てなことなのだろう
天童での所用が済んだ後、羽州街道をてくてくトボトボ歩くことが出来、山形からいったん新幹線に乗り込んで自宅に戻り、腰の治療に行き、たっぷりと鍼を打ってもらう
10月10日(火)にまたまた東海道を〝乗り鉄〟して掛川へ行き、1泊して姫路まで行き、また1泊して広島へ、そして1泊した後小倉に到着という塩梅になった
大垣駅で乗り換えた時、1番線ホームの電車が止まらない東側に行ってみた
〝行き暮れて 噴水暮れて 駅の前〟
という句碑が建っている。
1980年代の初め、学生だった頃、田舎に帰るために送ってもらったお金を使ってしまい、東海道線最終大垣行きに乗って、年末慌ただしい12月30日に東京駅発の鈍行に乗って帰省した。通路まで人・人・人の満員電車。朝7時前に大垣駅に到着して、ホームの水道で顔を洗った時の爽快な気分は、今も思い出せる。掌がしびれてしまう冷たさが、却って心地いいくらいだった
40年前のことで、その水道がどのホームだったのかも、もう思い出せないけれど、思い入れの残る駅となっている。
この句碑の、駅前にかつてあったのだろう噴水⛲が夕景に映っている姿を想像しながら、いろんな人が駅を通過して行ったことと共に思いを馳せてしまう。
歩き旅の最中、財布をこの駅で落としてしまい、捜したけれど見つからず、駅員にその旨届けて岐阜に行った。岐阜駅前の交番にも財布の紛失届を出した。
数か月後、警察から連絡があり、ホームに落ちていた財布を駅員の方が見つけてくれ、紛失届が出されていたので持ち主のあなたにお返しします・・・という手紙が小包と共に郵送されてきた。
「」
中身もそのまま紙幣や小銭が入ったままだった。
あの日必死になって捜したけれど見つからなかった財布だったので、もしかしたら駅ではなく別のところだったのかもと思い、それならもうわからんな、とあきらめていた。
〝行き暮れて 財布なくして 大垣駅〟
お礼の手紙を書いてすぐに郵送した。10年ほど前の出来事だ。
ブラブラとそんなことを思い出しながらホームで米原行の電車を待った
因みに「大垣夜行」は1996年3月のダイア改正で特急型電車になり「ムーンライトながら」として2021年3月まで走っていた。
コロナ禍対策で2020年は運転を見合わせることになった。それに伴って使用していた車両の老朽化などもあり、長い路線にピリオドが打たれてしまった。残念
現在の東海道本線最終は23時54分東京駅発平塚行き。ごくごく普通の生活電車である🚃🚃
🚃🚃🚃🚃それはそうと、まぁいろいろ乗り継いでやって来たわけだ
小倉に着くと必ず森鴎外旧居に行って、なんとなく佇んでみる、というようなことをしている🏡
今回は大火事で焼けてしまった後、みなさんが復興に取り組んでいらっしゃる〝旦過市場〟へ出かけてみた。中原街道は昭和館の前を通って南に延びて行く旧道で、その建物を観た時、かつて新宿の映画館をはしごしていた頃を思い出し、ちょっと入って何か観てみたいなぁと思ったりした
でも焼けてしまっていた
界隈はもうかなりな勢いでプレハブの市場が立ち並び、みなさんの気概が窺われる状況にまでなっている
少しづつ観光客も戻って来ているようだ
小倉での所用の後、再び鹿児島本線に乗って下関へ向かい、そこから山陽本線に乗り継いで防府へ向かう
新山口で電車は月曜日の集中工事のため防府へはバスの代行輸送でお願いします・・・というようなことを言われ・・・
駅前の山頭火の像を意味もなくパチリ
そうしてバスに乗り込もうとしたら、
「」
山頭火
「んなわけないなぁ」
失礼いたしました・・・
防府駅前にも山頭火の像が・・・
こうして防府の街へやって来て、10月17日(火)には山陰道をてくてくトボトボ山陽道の分岐から歩き始めることが出来た
翌18日(水)には、広島へ入り、19日(木)には念願の芸備線&木次線の〝乗り鉄〟を敢行することが出来た
11時2分広島発に乗り込む
12時半頃三次駅で、備後落合行きをしばらく待つ
車内はガラガラ・・・電車にはかつての写真が何枚も張られている
何気ない暮らしが詰まっている
蒸気機関車🚂の頃も今も、基本的には何も変わっていないのだろう・・・
この駅の今・・・
出発進行
一番後ろに立って、ただただ眺めてしまうのだ
やがて備後落合駅に到着
ここで木次線は松江方面に向かう。芸備線は岡山県の新見駅へと進んで行く
束の間この駅で人々が交錯する
廃線になって欲しくないけど、乗り鉄と撮り鉄のオジサンとオタクしかいないんじゃないかと思ってしまう客層だ
私は木次線に乗り込んだけど、全員乗り鉄親父だった
北海道でも山陰でも東北でも、このオッサンたちが乗ってくれるからこそ、そこそこの対面が整ってくれているように思う。夏から秋、春から冬にかけての、限られた期間であったとしてもだ
木次線最初のハイライト
こういうどうでもいいことをちょっとしたコーディネートでアピールすることが、やっぱり大切なんでしょうね
ただ木次線に乗っていて、備後落合駅から木次駅間で乗ってきた一般の人は3人だけ。木次駅からようやく学生が何人かとサラリーマンの人が数人乗車してきたので、我々もホッとする次第
次につながるかどうかはわからないけど、廃線にだけはなって欲しくないと願う。だからまた乗りに来るのだ
10月23日(月)に山陰道を揖屋から荒島まで歩き、翌日、伯備線に乗って岡山まで出た
岡山の路面電車の駅があまりにも簡素で、なかなか見つけられなかった
ホテルまで行くのに初めて乗車🏨
中国地方はどうも黄色い車体の電車が多い気がする
翌25日(水)に、牛窓往来を西大寺から歩くつもりでいたのだけど、なんだかそういう気にならなかった。そしたら翌日から体調を崩し、のど胚は痛いはちょっと微熱にいたぶられるわで、薬を飲み、水分を補給し、ホテルでずっと横になって休んでいた。
幸いすぐに熱も引き、引いたのだと思う・・・のどの痛みもなくなって所用をなんとか打っ棄ることが出来た
旅が長くなり、ちょっと無理をしていたこともある。
コロナ禍も通り過ぎて来たし、インフルなんかにも注意を払っていたのだけど、若干の過労が体調を崩す羽目になってしまった。そんなときは静養するに限る。食べて、寝て、また薬を飲んで水分を補給して、寝る。汗をたっぷり搔いて、着替えて、また眠る
<2023年9月・10月の旅に写真を編集して、2023年12月10日に記>