■てくさプロフィール
[サマリー]
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
1982年、2月21日 3:30頃、生まれました。
兄弟はおらずひとりっこです。
高校卒業までは福島県の片田舎で過ごし、
大学入学と同時に「札幌市」で初めてのひとり暮らしに挑戦!(ノ゚ο゚)ノ
1年半後、キャンパス異動で「函館」に生活の拠点を移しました。
卒業後、
初めての就職先は東証一部上場の不動産ディベロッパーで、
初勤務地は「広島」
その後人事異動で、「仙台」に転居し07年11月に妻を娶りました。(^-^)/
結婚するといろいろ考えが深まるもので・・・
「私はいずれ実家を継がなければいけないし、
サラリーマン勤めに慣れきってしまっては、
実家の経営についていけない。この環境にいたら世間知らずになってしまう。」
と感じ、もっと様々な経験が必要と転職を決意!
08年8月に上場会社の恵まれた環境に別れをつげ、
札幌の中小企業に転職。
環境や立場の違う2社で業務や生活を比較しながら感じたのは、
転職すれば、その会社では一からのスタートです。
「帰らないといけない場所がある、やりたい秘めた思いがあるのであれば、
将来を見つめた準備が必要だ。」
と感じ、起業のための準備を開始しました。
起業や自己啓発に関するいくつかの書籍を読み漁りながら、
自分の経験や考えをベンチマークすべき場所が必要と感じ、
09年2月、ブログを開始しました。
ブログを始めながら、
独立のためには、事業ドメインの他に自己ブランディングが必須だと気づき、
現在自己分析をしながら、行くべき方向を探っています。
もっと読みたい!!という奇特な方のために(笑
詳細編をご用意しています。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[詳細編]
色々振り返ってみれば、順風満帆とは言えないところですが、
なんだかんだその時代その時代を幸せを送っているかもしれません。
まだまだ上昇志向は強く、自己実現意欲も年とともに上昇中(^~^)
■幼少期~特に印象のない時期~
生まれたときの体重は2800gで世間一般の平均値と比べても
特に変わってはいません。健常に生まれてくることができました。
そのへんは両親に感謝です。今になって思います。
しかしながら、
その後、幼稚園~小学校にかけて、私は完全にインドアな少年。
体育は大の苦手、友達と遊ぶにしても
できれば家のなかで遊んでいたい子供でした。
外にいかないことを両親も少し心配だったかもしれません。
※友達に合わせて無理して外で遊んでいたのを覚えています。
◎小学校の思い出
小学校の時は、体育のできる子が男子女子からも大人気。
いますね、そんな子。
私は体育も得意でなく、放課後もすぐ家に帰っていました。
小学校4年からスポーツ少年団に入るのが決まりみたいな雰囲気で
入りましたが万年補欠。ぱっとしない日々が続いていました。
■中学校時代~やればできると気づいた貴重な期間~
私は中学に入ってから自分の考えや取り巻く環境に対して、
ようやく自我が芽生えました。
父親が中学校でソフトテニス部だったことから、
自分もなんともなくテニス部に入ったのですが、
ここが私のターニングポイントのひとつでした。
とはいっても、やはり特別うまかったわけではありません。
だけれど、楽しかったんですよね。
そのときの仲間、特に一緒にペアを組んだ朋友と毎日頑張って、
苦楽をともにしてという日々がこの上なく幸せでした。
また、自分に自信がなかったそれまでには考えられないことでしたが、
中学3年のとき、はじめて彼女ができました。
同じ部活の後輩でしたが、これも大きな原動力でしたね。
充実していた中学校を卒業するのが
とても寂しかったのを今でも覚えています。
■高校時代~やればできる、引き続き~
楽しかった中学生活を終え、
待っていたのは1学年360名の進学校でした。
中学の1学年80人から比べると、本当に巨大学校に来た感じでした。
学年全員の顔は分かる、から話したこともない人が出てきたんです。
高校にも入り、人数が多いとなれば、
それぞれの学生の個性も多様化しています。
中学校のとき以上に、
周りのひとに馴染むのに苦労し、
自分のコミュニケーション能力の低さに
コンプレックスを抱き始めていました。
また個性が多様だった環境から、
自分の考え方が正しいのか、
やけに悩んでしまったのもこの時期からでした。
クラスの皆とも馴染めにくいなか
私が密かにはまっていたのが音楽制作でした。
とはいっても、バンドとかではなく、
映画音楽のオーケストラなどのインストゥルメンタルに
興味を持っていて、それまでのお年玉をはたいて、
シンセサイザーを買って、ちまちまと打ち込みで音楽を作っていました。
高校に入っても体育はできない、友人ともあまり馴染めないなかで、
音楽で自分を何とか表現することがとても楽しかったのを覚えています。
そうこうしているうちに大学受験を考えなくてはなりませんでした。
高校2年の冬です。
いつの日だったか、るるぶ北海道の載っていた景色に魅せられて、
本当にそれだけの理由で北海道大学を目指しました。
るるぶに影響された割には、その日から徹底的に勉強を開始。
高校3年の8月にはオープンキャンパスにも参加し、
自分のモチベーションを上げ、合格にありつけたのでした。
これもやれば、できるを信じてきたからだったと思います。
目指した背景はくだらなかったですが、
やればできるを信じてひとつの夢が叶ったわけです。
■大学時代~迷いの時期~
夢を叶え、いざ北海道へ。
・・・愕然としました。知っている人がいません。
はじめての一人暮らし。
高校時代とは比べ物にならない個性の集まりに戸惑ってしまって・・・。
夢沸くこの季節なのに、
やりたいこともなく朝を迎えるのが嫌なくらい孤独でした。
大好きな音楽を作るにもあまりの寂しさに手がつかないくらい。(笑
自己マネジメントがまったくできていなかった時期です。
サークルにもまともに入れず、
馴染める友人も少なく、
最初の2年間はとても寂しかったのが印象です。
でも私はへこみながらも、愚痴りながらも諦めだけはしませんでした。
なんとか環境に慣れ、就職活動を経て再び自信を取り戻すことができました。
きっちり自己分析をし、企業説明会での色々な出会いを楽しみ、
のびのびと就職活動ができました。
ある意味、リクルートスーツを身に纏い、東京の街での就職活動中は
何か役者のように演じきっていたように思えます。(いい意味で)
要領を得ていたんだなと思い返します。
入りたかった企業にも手八丁、口八丁で何とか内定をもらい、
社会人生活に希望を抱いて、初任務の地、広島へ引越ししました。
そして、社会人になり早5年。現在札幌で妻とふたり。
将来の幸せのために人生模索中。
[サマリー]
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1982年、2月21日 3:30頃、生まれました。
兄弟はおらずひとりっこです。
高校卒業までは福島県の片田舎で過ごし、
大学入学と同時に「札幌市」で初めてのひとり暮らしに挑戦!(ノ゚ο゚)ノ
1年半後、キャンパス異動で「函館」に生活の拠点を移しました。
卒業後、
初めての就職先は東証一部上場の不動産ディベロッパーで、
初勤務地は「広島」
その後人事異動で、「仙台」に転居し07年11月に妻を娶りました。(^-^)/
結婚するといろいろ考えが深まるもので・・・
「私はいずれ実家を継がなければいけないし、
サラリーマン勤めに慣れきってしまっては、
実家の経営についていけない。この環境にいたら世間知らずになってしまう。」
と感じ、もっと様々な経験が必要と転職を決意!
08年8月に上場会社の恵まれた環境に別れをつげ、
札幌の中小企業に転職。
環境や立場の違う2社で業務や生活を比較しながら感じたのは、
転職すれば、その会社では一からのスタートです。
「帰らないといけない場所がある、やりたい秘めた思いがあるのであれば、
将来を見つめた準備が必要だ。」
と感じ、起業のための準備を開始しました。
起業や自己啓発に関するいくつかの書籍を読み漁りながら、
自分の経験や考えをベンチマークすべき場所が必要と感じ、
09年2月、ブログを開始しました。
ブログを始めながら、
独立のためには、事業ドメインの他に自己ブランディングが必須だと気づき、
現在自己分析をしながら、行くべき方向を探っています。
もっと読みたい!!という奇特な方のために(笑
詳細編をご用意しています。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
[詳細編]
色々振り返ってみれば、順風満帆とは言えないところですが、
なんだかんだその時代その時代を幸せを送っているかもしれません。
まだまだ上昇志向は強く、自己実現意欲も年とともに上昇中(^~^)
■幼少期~特に印象のない時期~
生まれたときの体重は2800gで世間一般の平均値と比べても
特に変わってはいません。健常に生まれてくることができました。
そのへんは両親に感謝です。今になって思います。
しかしながら、
その後、幼稚園~小学校にかけて、私は完全にインドアな少年。
体育は大の苦手、友達と遊ぶにしても
できれば家のなかで遊んでいたい子供でした。
外にいかないことを両親も少し心配だったかもしれません。
※友達に合わせて無理して外で遊んでいたのを覚えています。
◎小学校の思い出
小学校の時は、体育のできる子が男子女子からも大人気。
いますね、そんな子。
私は体育も得意でなく、放課後もすぐ家に帰っていました。
小学校4年からスポーツ少年団に入るのが決まりみたいな雰囲気で
入りましたが万年補欠。ぱっとしない日々が続いていました。
■中学校時代~やればできると気づいた貴重な期間~
私は中学に入ってから自分の考えや取り巻く環境に対して、
ようやく自我が芽生えました。
父親が中学校でソフトテニス部だったことから、
自分もなんともなくテニス部に入ったのですが、
ここが私のターニングポイントのひとつでした。
とはいっても、やはり特別うまかったわけではありません。
だけれど、楽しかったんですよね。
そのときの仲間、特に一緒にペアを組んだ朋友と毎日頑張って、
苦楽をともにしてという日々がこの上なく幸せでした。
また、自分に自信がなかったそれまでには考えられないことでしたが、
中学3年のとき、はじめて彼女ができました。
同じ部活の後輩でしたが、これも大きな原動力でしたね。
充実していた中学校を卒業するのが
とても寂しかったのを今でも覚えています。
■高校時代~やればできる、引き続き~
楽しかった中学生活を終え、
待っていたのは1学年360名の進学校でした。
中学の1学年80人から比べると、本当に巨大学校に来た感じでした。
学年全員の顔は分かる、から話したこともない人が出てきたんです。
高校にも入り、人数が多いとなれば、
それぞれの学生の個性も多様化しています。
中学校のとき以上に、
周りのひとに馴染むのに苦労し、
自分のコミュニケーション能力の低さに
コンプレックスを抱き始めていました。
また個性が多様だった環境から、
自分の考え方が正しいのか、
やけに悩んでしまったのもこの時期からでした。
クラスの皆とも馴染めにくいなか
私が密かにはまっていたのが音楽制作でした。
とはいっても、バンドとかではなく、
映画音楽のオーケストラなどのインストゥルメンタルに
興味を持っていて、それまでのお年玉をはたいて、
シンセサイザーを買って、ちまちまと打ち込みで音楽を作っていました。
高校に入っても体育はできない、友人ともあまり馴染めないなかで、
音楽で自分を何とか表現することがとても楽しかったのを覚えています。
そうこうしているうちに大学受験を考えなくてはなりませんでした。
高校2年の冬です。
いつの日だったか、るるぶ北海道の載っていた景色に魅せられて、
本当にそれだけの理由で北海道大学を目指しました。
るるぶに影響された割には、その日から徹底的に勉強を開始。
高校3年の8月にはオープンキャンパスにも参加し、
自分のモチベーションを上げ、合格にありつけたのでした。
これもやれば、できるを信じてきたからだったと思います。
目指した背景はくだらなかったですが、
やればできるを信じてひとつの夢が叶ったわけです。
■大学時代~迷いの時期~
夢を叶え、いざ北海道へ。
・・・愕然としました。知っている人がいません。
はじめての一人暮らし。
高校時代とは比べ物にならない個性の集まりに戸惑ってしまって・・・。
夢沸くこの季節なのに、
やりたいこともなく朝を迎えるのが嫌なくらい孤独でした。
大好きな音楽を作るにもあまりの寂しさに手がつかないくらい。(笑
自己マネジメントがまったくできていなかった時期です。
サークルにもまともに入れず、
馴染める友人も少なく、
最初の2年間はとても寂しかったのが印象です。
でも私はへこみながらも、愚痴りながらも諦めだけはしませんでした。
なんとか環境に慣れ、就職活動を経て再び自信を取り戻すことができました。
きっちり自己分析をし、企業説明会での色々な出会いを楽しみ、
のびのびと就職活動ができました。
ある意味、リクルートスーツを身に纏い、東京の街での就職活動中は
何か役者のように演じきっていたように思えます。(いい意味で)
要領を得ていたんだなと思い返します。
入りたかった企業にも手八丁、口八丁で何とか内定をもらい、
社会人生活に希望を抱いて、初任務の地、広島へ引越ししました。
そして、社会人になり早5年。現在札幌で妻とふたり。
将来の幸せのために人生模索中。