てくがたのブログ-マイルス 先日ジャズ喫茶で、何気なくマイルス・デービスが表紙の「スィウィングジャーナル」2月号を読んでいると、思わず苦笑してしまう記事があった。


その内容を要約する。


2009年12月7日、スペインでおこなわれたジャズフェステバルで、ラリー・オックス(sax)が率いるバンドの演奏を聴いた観客が「これはジャズではなく、自分の健康に害を及ばしたので返金してほしい」と主催者に要求したが、主催者がこれに応じないないため警察に通報。そしてこの場にかけつけた警察が「これはジャズではない」と断定し、主催者側に返金するように応じるように命令した。このことをイギリスの新聞で知ったウィントン・マルサリスが、その新聞社に連絡をとり「そのクレームをつけたお客は偉い。私はその人に自分のCDをプレゼントして、彼の勇気を讃えたい」というコメントを寄せた。


という内容である。おかしいことだらけの話である。ラリー・オックスはいわゆるフリー系の演奏をしたのであろうが、その演奏が気に入らないから金返せという人がいることがおかしいし、しかし世の中には色んな人がいるからなぁと思っていると、またおかしな人があらわれる。そう警察官である。ジャズではないと断言するのもどうかと思うが、いったい何の権限で返金をしろと命じたのだろうか。完全に民事事件でそれを判断するのは、裁判官しかいないはずなのに。そしてこの話の最後に現れるのはウィントンである。ウィントン・マルサリスといえば、ジャズ界のビッグネームである。そんな人が求められてもいないのに、自分から新聞社に自説を述べるために新聞社にわざわざ連絡するだろうか。コメント内容自体もおかしいが。


ウィントンを落ちに使ったよくできた笑い話のようだ。しかしウィントンならこのような行動をいかにもしそうだなとも思う。


ウィントンは伝統的なジャズの回帰を主張して、80年代初めに彗星のように表れた。当時フリースタイルなジャズが下火になり、電子楽器を多様しながら、ジャズとロックや民俗音楽などが融合したフュージョン音楽が全盛を迎えていた。何がジャズなのか分からなくなった時代と言えよう。そんな時に何がジャズなのか明快な回答をしたのがウィントンである。50年代から60年代に主流であったテーマとアドリブからなる形がしっかりと決まったものこそがジャズであると、トランペットの明朗の音色と高度の演奏テクニックをもって示した。そして多くのジャズファもそのことに拍手喝さいした。


そしてウィントンは演奏だけではなく、数々のマスコミを通じて、自らのジャズ観を文字通り主張して、テレビ番組でフリー系の奏者と大喧嘩をしたこともあるし、またジャズ界の帝王と呼ばれていたマイルス・デービスにも噛み付いている。当時マイルス・デービスは独自のフュージョン音楽に邁進していた。もっとも彼自身は自分の音楽をジャズとか、フュージョンという言葉でカテゴライズされることを嫌がっていたが。


そう、ウィントンはしなくてもいいような争いを好んで自らする前科があるのだ。演奏が型にはまっておもしろくないとか、優等生的な発言が目立つとかいってウィントンを非難する人が多いが、このような論争をして、火の粉をわざわざ浴びに行くウィントンって非常にとんがっている感じがして、私は好きだ。


彼の主張は正直矛盾する。ジャズはスタイルをかえながら、今に至っている音楽だからだ。ある種のイメージはあるが、何がジャズであるか定義するのは難しい。デキシーランド、ビッグバンド、バップ、クール、ハードバップ、フリー、フュージョン等・・・。こんなことは承知で確信犯的に本当のジャズとは何かをウィントンは主張しているだと思う。


マイルスは先に述べたが、自分の音楽をジャズと呼ばれるのを非常に嫌っており、自分の音楽は“マイルスの音楽”と呼べばいいと述べている。公でこのようなことをあまり述べなかった人であるが、そのことでレコード会社ともめ、レコードおける自らの音楽の解説書を拒否している。マイルスの音楽はスタイルを時代とともに変え、常に時代の先頭にたっていたもので、シャイな性格も演奏スタイルもウィントンとは大分違うが、非常にとんがった人であることは同じだ。


マイルスがウィントンの演奏を「時代遅れでつまらない」といって非難したこともあるが、自分の音楽を貫いているという姿勢は同じだ。もう今となっては分からないが、本当はかわいい奴って思っていた可能性もある。


そんなことを考えて、上記の記事を読んでいたら、ウィントンって相変わらずだなぁと思わず苦笑してしまったのである。てくがたのブログ-ウィントン







2005年に発売されたウィントン・マルサリスのアルバム「スタンダード・ライブ」(邦名)


これを聞くと、いかにウィントンが引き出しが多いアーティストか分かる。柔軟性がある熱い演奏を聞かせてくれる。


優等生だと思われるのは、彼のジャズ界を考えての政治的な発言からであろう。


スタイル自体は保守的かもしれないが、演奏そのものは決して保守的ではない。

一度聴いて欲しいアルバムだ。