19日(木)15/26℃。晴一時曇
夫が予約してきたレンタカーで、「群馬サファリパーク」へ
動物苦手の夫が、なぜサファリパークに行こうと思ったかは謎だ
多分、日帰りで走る距離を計算して「この辺」と決めたんだろう。
で、近そうだからついでに寄って欲しいと富岡市の「一之宮貫前神社」を追加。夫は、甘楽町の「長厳寺」と「楽山園」に行くつもりだったというので、行き先が増えたけど、大丈夫かな
メーンの「群馬サファリパーク」は写真が多いので、ついでに寄った方を先にアップする
長厳寺
甘楽町小幡にある天台宗寺院「連石山長寿院長厳寺」は、1271年(文永8年)に行円法師によって開山したが、それまでは連石山を修行の場とする修練道場だったという。
石段を登り、山門に掛かる木魚を叩かず(^^;)、本堂にも参拝せずm(__)m
まず「魔崖仏」を見るため、本堂横の「清心のみち」から裏の山へ。
このくらいの道なら大丈夫だと登り始めたけれど、段々石段の幅が狭くなったり段差が違ったり…すがるところもない。もう一方の道はさらに急だし、枯葉が邪魔をして見えないし
そのうち息が苦しくなってきて、ハ~、フ~と声を出せば少し楽になるけど…苦しい
「魔崖仏」は長厳寺裏山・連石山の遊歩道入口から約10分程度の所に位置し、高さ10m、幅8m、奥行2mで、1980年(昭和60年)の完成当時は日本1の大きさと言われたそうだけど、現在は他にあるのだろうか
巨大な魔崖仏に辿り着いた時には、青息吐息
しばらく座り込んで息を整えて……。夫に「ここで待っているから、三十三観音いくつか見てきて」と言ったけど、「息が上がってる人を置いていけないから、ここで引き返そう」ということに( TДT)ゴメンヨー
魔崖仏の下側にも、得体のしれない石の彫り物が? 亀と猿?
下の写真の細道を、先へと登っていくと三十三観音に出会えるんだけど、息が上がってなくても、足元おぼつかない狭い山道は、私には無理そうだ😢
呼吸が楽になってから下山したが、もう、途中にある「観音堂」や「毘沙門天」、「本堂」にさえ立ち寄る気になれず、失礼してしまった。
小幡の織田氏
「長厳寺」の後は、国指定名勝「楽山園」を目指すが、途中の「織田氏七代の墓」の看板に気が付いて寄り道。
織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が1615年(元和元年)に小幡藩主となり、以来152年間、織田氏が統治した。
その初代・信雄から7代・信富に至る七代の墓が、織田家の菩提寺である臨済宗「崇福寺」の旧境内に建てられている。墓石(五輪塔)は御霊屋に守られ、町指定史跡。
右から順に、信雄・信良・信昌・信久・信就・信右・信富の墓。8代信邦は移封先の山形・高畠で死去したため、ここにはない。
「楽山園」は、小幡に陣屋を構えた織田氏が造った池泉回遊式の庭園で、連石山・熊倉山・紅葉山などを借景として取り込んでいる。
「楽山園」の名前の由来は、論語の「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」からと言われているとのこと。
群馬県内に存在する唯一の大名庭園で、国の指定名勝。
昆明池を中心に築山や茶屋が配され、人が少ないせいもあってか、静かな落ち着いた雰囲気で、心安らぐひとときを過ごした。
珍しい五角形の腰掛茶屋
陣屋造りの小幡藩邸(御殿)は庭園が復元されたが、陣屋跡は現在まだ復元工事中。建物は復元せず、部屋や廊下などを色分けした平面表示で再現している。
小幡には武家屋敷が残る一角がある。
立派な石垣を備えた大きな屋敷が数軒、駐車場から「楽山園」に行く途中にあって、最初、そこが陣屋(楽山園)かと思ったよ^^;
一之宮貫前神社
富岡市一ノ宮に鎮座する「一之宮貫前神社」は、1400年の歴史を有する古刹で、上野国一之宮。
本殿・拝殿・楼門が国指定重要文化財となっていて、極彩色に彩られた美しい建物だったそうだが、現在は少し色褪せて見えた。それも歴史の重みと言えるかも。
参道の石段を上り、鳥居を潜って少し先に総門がある。
総門から石段を下りたところに楼門があり、社殿へと続く
珍しい「下り宮」
この時すでに16時50分過ぎ。
レンタカー返却時間を考えたらゆっくりできないし、人っ子一人いない境内では何んとなくじっくり拝観もできず、引き上げることにした。
ちなみに神社の社地は約2万6千坪あるらしいが、ほとんどが森なので、実際には狭く思えた。