『北条義時』 | てこの気まぐれ雑記帳

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グータラ婆が気ままに、日々の出来事や思ったこと、感じたことを、適当に書き綴っています。なんでも有りの備忘録的雑記帳です。

今年読んだ第1作目は、3月22日(火)読了の『北条義時~鎌倉殿を補佐した二代目執権』(岩田慎平。中公新書)本

武家の優位の確立を いかにして成し遂げたのか

北条義時は十八歳で突如、歴史の表舞台に立たされる。義兄の源頼朝が平家追討の兵を挙げたのだ。義時は頼朝の側近として鎌倉幕府の樹立に貢献。頼朝没後、父時政に従い比企氏ほか有力御家人を排斥する。さらには父を追放して将軍補佐の執権職を継ぎ、甥の将軍実朝と姉政子を支えて幕政を主導。後鳥羽上皇と対決した承久の乱で鎌倉勢に勝利をもたらした。公武関係の変遷を辿り、武家優位の確立を成し遂げた義時の生涯を描く。(「帯」より)

 

 

 

*私の読書録は備忘録としての感想文。完璧ネタバレですm(__)m*

 

 

子供の頃から歴史物は好きで、小説だけど、源平盛衰記、義経記、源頼朝など読んできた。

しかし、鎌倉幕府成立後、北条家が執権となって幕府最高権力者にのし上がっていく過程については全く知らないままだった。

NHK大河ドラマが北条義時主人公の「鎌倉殿の十三人」というので、夫の書棚から借り出した。

でも、ここ10年以上は推理小説など気楽に読めるものばかり読んできたから、小説ではない新書版は読み辛いったらありゃしない^^;

 

・序章 伊豆国と北条氏

・第一章 流人源頼朝と北条氏

・第二章 平家追討戦

・第三章 幕府草創

・第四章 鎌倉殿源頼家と北条義時

・第五章 実朝・政子・義時

・第六章 後鳥羽院政期の鎌倉幕府

・第七章 承久の乱

・終章 新たな公武関係

 

義時評伝といっても、伊豆の小豪族の次男にすぎない義時がどうやって表舞台に登場することになったかの説明には、当時の社会情勢から武士たるものの存在理由などの解説が必要なことは重々承知だけど、話があちこち飛ぶので分かりにくい。

しかも、紹介する人物の名前や肩書が出世するに従って替わるから、余計にややこしい。

 

でも、幕府成立後も公家と武士の位置関係は変わらないこと、鎌倉殿=征夷大将軍ではないこと、頼家時代に構築された13人合議体制によって幕府運営がなされたこと、その13人の中の大物である梶原氏や比企氏が謀反などの疑いをかけられて滅亡し、結果北条氏の力が拡大したこと…などが理解できた。

 

頼朝亡き後、妻である政子の存在が御家人に与える影響に、へ~! 権力者の未亡人って権力を引き継ぐんだね。

政子が、実の息子である頼家とその息子(実の孫)一幡を撃つよう命令し、義時は徹底的に落人捜索して比企氏一族を一網打尽、滅亡させた。

北条一族が頼朝の外戚として力を伸ばしてきたように、比企一族が頼家の外戚として力をつけることを良しとしなかったことは分かるけれど、やることが情容赦なく冷酷だ。

(画像拝借)

 

頼家を廃して頼朝の次男実朝を鎌倉殿とし、まだ幼い故にと政子の父時政が第1代執権の座に就き、北条氏が幕府の実権を握る。

その時政を、息子の義時は政子と組んで追放、第2代執権に就任。以降、北条家を執権として長く続いた鎌倉幕府ではあるけれど、血なまぐさい匂いがするのよね。

承久の乱で勝利した鎌倉幕府は、後鳥羽院、順徳院、土御門院の3人の上皇を配流するという前代未聞の処罰を断行、武士による皇位継承への関与を行った。

 

単発的には知っていても、時系列に並べてみるとより分かりやすくなり、それなりに面白い話ではあるけれど…読みにくかったのは私の理解力のせいだ^^;

 

いわた・しんぺい=1978年和歌山県生まれ。京都教育大学教育学部卒。仏教大学大学院修士課程、関西学院大学大学院博士課程に進み、博士(歴史学)取得。専門分野は日本中世史。神奈川県愛川町郷土資料館主任学芸員。著書に『平清盛』「承久の乱の構造と展開』『日本中世の政治と制度』など。