8月11日、『罪の声』(塩田武士。講談社文庫)読了
京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始め――。圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。(裏表紙「粗筋」)
*私の読書録は備忘録としての感想文。完璧ネタバレですm(__)m*
1984年3月の江崎グリコ社長誘拐に端を発した一連の企業脅迫事件「グリコ・森永事件」は、2000年2月に全ての事件の公訴時効が成立。警察を挑発するようなマスコミへの挑戦状送付など一般社会を巻き込んだことで、劇場型犯罪とも称された事件は、未解決のまま幕を下ろした――
その「グリコ・森永事件」をモチーフにした同書は、フィクションでありながら、読み進んでいくうちにノンフィクションを読んでいるのではないかと錯覚するほどにリアリティ感がある。
著者自身が、『「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その他の事件報道について、極力史実通りに再現した』としているので、私の感覚は正解だったようだ。
京都の「テーラー曾根」の2代目・曽根俊也は、入院中の母の依頼で5年前に亡くなった父の遺品を調べている時、英文で書かれた黒革のノートとカセットテープを見つけた。黒革のノートには英文字の他に「ギンガ」と「萬堂」の文字、テープには録った記憶はないが自分の声‥「ギン萬事件」の脅迫に使われた男児の声だ。
……ひょっとして自分は、あの大事件の加害者と関係があるのだろうか?
俊也は、父の親友で仕事のために定期的に渡英している堀田信二に相談。
堀田によれば英文はイギリス英語で書かれ、俊也の伯父・達雄はロンドンに住んでいたらしい。
2人は、事件の真実を探るべく、達雄の消息を求めて調査を始めた。
幼い娘を持つ俊也の、何としても真実を知りたい‥熱意と、反面、知ることの恐怖が、痛いほどに伝わってくる。
そして、あまり知らなかった母や祖父のことも明らかになって……。
大日新聞文化部記者の阿久津英士に、社会部事件担当デスクの鳥居から呼び出しが。
年末企画として昭和・平成の未解決事件を特集するので、「ギン萬事件―三十一年後の真実―」取材班に招集したという。
夜討ち朝駆けは常識、休日などはあってもないがごとく、抜いた抜かれたの戦場のような社会部記者生活に疲れ、文化部に異動してホッとしていた阿久津。昭和の事件記者の見本のような鳥居に睨まれると、借りてきた猫のようなもの。渋々だけど、鳥居に怒鳴られないように、当時の資料を読み、現場となった場所に足を向けた。
達雄の消息を追う俊也と堀田の素人チーム(?)と、当時の豊富な報道情報と現在を結んで足で調べるプロの記者・阿久津……、別々に進める調査が次第に近づき交差して……。
70年代、大学が闘争に荒れ、学生たちの不満も捌け口を無くしてゲバルトに走るようになった時代を駆け抜けた一連の若者や、彼らに同調・同情・共感した一部の大人たち。
続いた警察の不祥事や暴力組織との癒着。
司法の権力と経済の権力への挑戦。
身代金受け渡しに失敗した? いや、株価操作のための誘拐!
仲間内の不協和音。
そんな事件の背景に、俊也と同じく脅迫テープを吹き込んだ子供が2人いた。
その姉と弟の生涯は、悲惨なものになってしまった。夢を諦めるどころか学校にも行かれず殺された姉。その場を見てしまった弟。
そして、薄々知りながら誰にも打ち明けられず、自分を責め続けた姉の親友の30年間。
最後に、生き延びた母と息子が再会できたことだけが、救いだ。
……世間を騒がせた「ギン萬事件」の真相に鋭く迫る阿久津。最初は渋々だったけれど、事件の中身を知るうちに、徐々に社会部記者の血が騒ぐようになっていく。
一つ一つ丁寧に調べを進める阿久津の、‟待てる”強さと優しさが、関係者たちの重い口を開かせたのかもしれない。
取材の面白さが伝わってきて、とんでもない事件の物語なのにワクワクしながら読んだ。
鳥居にしごかれながら、‟文弱の徒”が一人前の記者に育っていく――未解決事件の真相調査は阿久津の成長譚でもあった。
しおた・たけし=1979年4月兵庫県尼崎市生まれ。関西学院大学社会学部卒後、神戸新聞社入社。『盤上のアルファ』で、10年第5回「小説現代長編新人賞」、11年第23回「将棋ペンクラブ大賞(文芸部)」受賞。12年神戸新聞社を退社し専業作家に。『罪の声』が16年第7回「山田風太郎賞」受賞、16年版「週刊文春ミステリーベスト10」第1位。『歪んだ波紋』で18年第40回「吉川英治文学賞新人賞」受賞。
*なお、映画「罪の声」が2020年10月30日公開予定