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『フィールド系 英セターのルーツを探る』 石橋徳次郎


【パーセル・リュウエリン氏】
パーセル・リュウエリン氏は、英国シュールズベリー近くのノーリントンに住み、犬の繁殖をしていました。
リュウエリン氏はイングリッシュ・セッターを繁殖する前にゴードン・セッターやアイリッシュ・セッターを繁殖していました。彼はジェフソン氏によって繁殖されたリリーIや、マクドーナ氏によって繁殖されたCH・プランセントのような有名なアイリッシュ・セッターを所有していました。彼はプランセントを高価な値でアメリカ人に売却しました。
そしてその後、彼はラヴェラック氏のセッターがベストの状態まで改良された時に、イングリッシュ・セッターをラヴェラック氏より購入し、繁殖を始めました。リュウエリン氏はコーベット・デューク氏が繁殖したトーマス・スタッター氏のロウブから生まれたダンとデュークの番(つがい)を購入したと記録されています。この犬がラヴェラック系セッターであったと思われます。そしてこの繁殖から素晴らしい犬達が生まれました。
ロウブはポール・ハッケット氏が所有していたレイクの娘だったと記録されています。このセッターは最も古い系統であり、トーマス・スタッター氏はジュディーから生まれたレイクにより偉大なチャンピオン・レンジャーを繁殖しました。また、ロウブとレンジャーは立派な系統の基礎犬となりました。
リュウエリン氏は国の内外でイングリッシュ・セッターの改良・繁殖により大成功を収め、それに応じて大規模な繁殖を行いました。
彼は一時的に容姿に注意を払って、品評会とフィールドでの競技に適合するような犬を繁殖しましたが、しかし、ラヴェラック氏と対抗する事をやめ、徹底してトライアル犬の繁殖のみに専念しました。
1884年にリュウエリン氏は英国バーミンガムのショーにおいて、12頭以上の犬を紹介しました。これらのセッターの中には、カウンティス・ベア、カウンティス・ウィンダム、ダッシング・ボンドウやカウンティス・モールのような偉大なトライアル犬がいました。これらの殆どの犬はアメリカに売られたと記されています。
当時、リュウエリン氏の血統によるカウント・ノーブルは名声を上げていました。しかし、リュウエリン氏のセッターは体型、骨格、性能などにおいてバラツキがあり、後に著名なアメリカの権威者であるホッチワルト氏がこれに批判していると記されています。
その後、リュウエリン氏は、2つの異なる系統を繁殖する事に執念を燃やしていました。その1つの系統は『ボンドウ系』であり、もう1つは『ウィンダム系』でありました。ボンドウ系の犬たちは、ラヴェラック系の血の濃いもので、カウント・ベアーから生まれたブルー・プリンスとダッシング・ボンドウにより作出されたと言われています。
また、ウィンダム系のセッターたちは、デュークとロウブの交配から出たダンによって作出されたとされており、カウント・ウィンダムは純粋のラヴェラック系セッターであったとも言われています。
アメリカとカナダにおいては、フィールド系セッターの殆どがリュウエリン・セッターであると言われておりましたが、アメリカ人であるロウエ博士が1884年に『アメリカン・フィールド』誌上において、これに反論したとも記されています。
しかし、ニコルソン氏によって繁殖されたモンク・オブ・ハーネスという犬が素晴らしいリュウエリン系セッターで、そのモンクから今日のガンドッグのセッターが生まれたと言われています。
パーセル・リュウエリン氏は、1925年に74歳でこの世を去り、彼の後継者はウィリアム・ハンフリー氏であったと記されています。


『全猟誌 98年5月号』より抜粋