昨年の今ごろに書いたブログです。

 

 

 

 

「安定した道に進んでほしいから中学受験してほしい」

 

 

そういう親御さんのお話をよく聞きます。

 

 

でも、

 

 

「安定」ってなんでしょうか?

 

 

 

おそらくそれは、

 

親であるその人が思う安定であって、

 

 

他の親からしてみれば、

 

「そんなのちっとも安定じゃない」

 

 

その定義なんて、それくらい曖昧で不安定なものではないでしょうか。

 

 

わたしの父は公立高校の教師でした。

 

校長を15年間勤めて定年し、定年後は大学や予備校講師をしながら、私立大学の入試問題を作っておりました。

 

超安定の職業です。

 

 

しかし、父は私に、

 

「安定した仕事についてほしい」

 

とか、

 

「ちゃんとした仕事をしろ」

 

などと言ったことは一度もありません。

 

なぜなら、

 

「教師は最高の仕事だった」

 

と、言いつつも、

 

「教師時代、心が安定する瞬間は一回もなかった。何度も辞めたいと思った。人の人生を左右する仕事はそれくらいキツいものだ」

 

そうです。

 

 

 

わたしがお世話になっている出版社は、いわゆる大手です。

 

社員は、東大卒や京大卒など、ほぼエリート集団です。

 

ものすごい高倍率を勝ち残り社員になりました。

 

お給料も破格です。

 

しかし、心を病んで退職する社員の数の多いこと多いこと。

 

 

答えは簡単。

 

 

ものすごい激務だからです。

 

 

この時代に会社で寝泊まり当たり前。

 

 

ちなみに、わたしもこの歳になってこの一週間だけでも、完全徹夜が2回もありました。

 

緊急事態宣言も全く関係なし。

 

 

 

世間一般から見える「安定」なんて、

 

ただの「大きな箱」に過ぎないことが大半です。

 

硬い殻で覆われたその中では、魑魅魍魎。

 

小さな歯車が休みなくグルグル回り続けているのです。

 

安定した大会社なんて、その集合体に過ぎません。

 

 

もちろん、全部が全部、そんな会社ではありませんよ。

 

 

新興の外資系なんて、華やかでみんな楽しそう。

 

上司も部下もまるで友達のように接して、ランチはいつも無料社員食堂で。

 

なんて、映像が情報番組でよく流れていますが、

 

その裏には超能力主義で、能力のない者はすぐに切られてしまい、

 

降格人事なんてザラです。

 

 

激務は、当たり前の大前提です。

 

 

それでも、それが、

 

「安定」と、いうならば、

 

あくまで能力の高い一部のエリートだけが実感できる「安定」のことです。

 

 

 

でも、その「安定」を手に入れるために、

 

「中学受験したほうが良い」

 

と、いうことなのでしょう。

 

 

しかし、

 

その考え方もすでに古い感じがしてなりません。

 

 

 

早い段階から、

 

自分の力で道を切り開く能力や術を手に入れるために中学受験に挑む。

 

 

私の中では、そのように捉えています。

 

 

そもそも娘はなぜ中学受験をすると言い出したのか?

 

そして、

 

そんな娘に私達夫婦は何を期待したのか?

 

を、考えた時、

 

一番は、自分から、

 

「受験したい」

 

と、自分の意思を示してくれたことが嬉しかったんですね。

 

それが、友達の影響であっても、

 

自分から、

 

「〇〇がしたい」

 

と、主張してくれることが嬉しかった。

 

 

そして、

 

「〇〇中学に行きたい」

 

と、自分で選択してくれたことが嬉しかった。

 

 

将来は、

 

「〇〇になりたい」

 

と、明確に言ってくれることが嬉しいのです。

 

 

なぜなら、そう言ってくれる限りは、

 

「この子は人生に迷わないかもしれない」

 

と、期待が持てるからです。

 

 

 

「安定」とは、そういうことではないでしょうか。

 

 

もっとも大切な「安定」とは、「心の安定」

 

「心の安定」に必要なものは、

 

「明確な意思」

 

ではないでしょうか。

 

 

 

 

「なにをすればいいのかわかならい」

 

「やりたいことがない」

 

「自分にはなにがむいているのかわからない」

 

それが最も不安定で、寂しいことではないでしょうか。

 

 

 

そうならないために、

 

いろんなことを知ってほしいし、いろんなことに挑戦してほしい。

 

中学受験もその一つに過ぎない。

 

 

だから、失敗しても良いのです。

 

 

 

挑戦したことで、何かを感じ、何かを手に入れられればそれで良いのではないでしょうか。

 

 

 

今の時代、

 

「安定」を手に入れるのは本当に難しいと思います。

 

不可能かもしれません。

 

 

その不可能に近いものを子に託すのは酷です。

 

 

これからの中学受験は、

 

安定を目標にするのではなく、不安定を目の前にしても怯まない。

 

挑んでいく強い心を手に入れる。

 

そのアイテムの一つに過ぎません。

 

 

 

挑むことに意味があるのです。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

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