3年前に書いたブログですが、よろしければお読みください。

 

 

 

 

「トンビからタカが生まれるんやね〜」

 

 

今時、そういうことを言う人は減りましたが、私の母(テンちゃんの祖母)は、悪気なくそう言うことを言っちゃう人です。

 

 

 

「いやいや。おっかさんから俺、生まれとるし」

 

 

「え?あんたタカね?あんたはトンビやろ〜」

 

 

「ま、まあ、そやな〜」

 

 

自分の親だから良いものの、他人から言われたらカチンとくる言葉ではありますよね。

 

 

 

「子供は親を超えられない。少なくとも学力に関しては絶対に。どんなに頑張ってもせいぜい同じレベルの学校だよ。だから、中学受験なんて、無理してやらせて良いことはないよ。高望みなんてしないで、落ちてもショックが大きくならない程度のところを受験させたほうがいいよ」

 

 

この言葉も、私の仕事の関係者から言われた言葉です。

 

 

私より年長者。

 

お子さんは中学受験をして、今、都内の私立大学に通っています。

 

基本的には、中学受験には反対の立場。

 

 

父親と母親が中学受験に対して反対の立場をとる典型のご家庭です。

 

つまり、父親は、子供の合格した中学校にいまだに納得していない。だから反対の立場をとる。

 

 

そんなご家庭は、私の周りを見てもけっこういます。

 

母親は、「やってよかった」と、思っているけど、父親は、「やるべきじゃなかった」

 

 

じゃあ、そんな父親に、当の本人はどう思っているのか?を、聞いたら、

 

 

「どうなんだろうね。本人はやってよかったよって思ってんじゃない?」

 

 

そう言う。

 

 

「じゃあ、やってよかったんじゃない?」

 

 

そう聞いても、

 

 

「いや。でも、やらないほうがもっと伸び伸びと子供時代を送れたと思うよ」

 

 

そう言います。

 

 

「でも、本人はやってよかったと思ってるんでしょう?」

 

 

そう聞き返しても、

 

 

「所詮、子供の思ってることだからさ。中学受験しない生活を知らないし」

 

 

「じゃあ、中学受験なんてないほうがいい?」

 

 

そう聞くと、

 

 

「最初から開成とか、桜蔭とか行けるような頭を持ってたらやってもいいと思うんだけどね」

 

 

 

 

 

ああ、言っちゃった〜。

 

 

親がそれ、言っちゃーおしめ〜よ。

 

 

 

 

それ思ってるだけで、その貧困な発想が、子供の意識の基本になってしまいますよ。

 

 

 

 

 

確かに、最初から開成とか桜蔭レベルに簡単に行ける頭脳を持って生まれた子供はいるかもしれない。

 

 

 

 

私の同級生にもいました。

 

父親も祖父も東大卒。

 

最初から最後まで学年一位。

 

ピアノの腕も天才的。

 

一度も塾には通わず、地元の最難関高校に合格し、現役で東大法学部に入学し、司法試験にも合格。

 

法務省に入りましたが、数年でやめてミュージシャンになったと言う変わり種。

 

ミュージシャンで東大法学部と言う肩書きが恥ずかしいからと、プロフィールには決して載せない。

 

 

彼という人間を天才と言うのだろうと思ってました。

 

でも、そう言う人間は東大にも決して多くないと思います。

 

天才は一握り。

 

それは今も昔も変わりません。

 

 

 

一部の天才以外は、皆凡人。

 

今は、その凡人が東大を目指せる時代なのです。

 

 

 

 

昔は、

 

東大に入るにはどうすれば良いのか?

 

と、いう疑問に答えてくれる人は、東大出身者しかいませんでした。

 

 

 

 

東大に入るための方法というものがそもそもあるなんて思いもしなかったのです。

 

 

でも、今は、こうすれば入れると言ってくれる塾、本、ネットなどなど。媒体がいくらでもあります。

 

 

そのために、中高でどのような学力をつけていく必要があるのか?

 

 

どのような勉強をすれば良いのか?

 

 

どんな中学校に入学すれば良いのか?

 

 

 

そのためには、どのような中学受験をすれば良いのか?

 

 

だったらどんな塾に入れば良いのか?

 

 

その子供の親が私のような勉強嫌いの凡人でも、東大に合格できる可能性は、一部の天才以外の大部分の同級生と全く同じ。

 

 

 

仮に、東大合格率の低い中学校に入学したとしても、あとは本人次第。

 

 

 

 

それが今の時代です。

 

 

 

 

先日、子供が大阪大学の大学院に進むことになった友人の話を書きましたが、彼は高卒です。母親も高卒。

 

ちなみに長男も国立大学を出て国家公務員試験に合格。

 

下から2番目の娘は、スポーツ推薦を辞退して、県立の一番偏差値の高い高校をこの春受験します。

 

一番下は公立の中学校に通っています。

 

子供たちは一人も塾に行ったことがありません。

 

 

 

 

彼の教育方針は、

 

「なんもない。勉強しろなんて言ったこともない。ゲームも漫画もやりたい放題。ただ、目上の人への挨拶や礼儀、学校のルール。兄妹同士助け合うこと。一度やると決めた部活。遊び。勉強。全部、中途半端だけは許さんってことだけかな」

 

 

彼は、子供と遊ぶときは徹底的に一緒になって、まるで自分も子供になったように遊びます。

 

自分の遊びも一切に妥協しません。

 

 

「子供のために遊ぶ時間がなくなった」

 

 

とは、決して言いません。

 

 

「俺には俺の人生がある。子供には子供の人生がある。そこに俺は一切干渉させない。しない。ただ、生活態度に口は出すし、お金も出す。それは親の義務でしょう」

 

 

 

そんな彼は、自分のことをトンビだとは全く思っていません。

 

 

 

「俺は、学歴を望んでなかったから勉強しなかっただけ。子供は勉強が好きだから勉強してるだけ。俺の子供だからって俺より優秀だとか、俺より劣ってるとか考えたこともない。ただ、お前ら勉強好きだな〜って感心するだけだよ」

 

 

 

だから、子供達はのびのびとやりたいことをやっている。

 

 

「塾に行かなくて、なんでそんなに優秀なんだろうか?」

 

 

「漫画とゲームとネット。ほぼこれが教材だな。この3つがあれば、奴ら、なんでもできると思ってるから」

 

 

「禁止とかしなかったの?」

 

 

「変な使い方だけはさせなかったよ。スマホだけは大学に入るまでは持たせなかったな」

 

 

「そこに不満は?」

 

 

「あったかもしれんけど、経済的な問題もあるし、不満を言っても仕方ないって思ったやろ。だったらスマホ代わりになることを考えりゃいいんだし」

 

 

 

 

スマホがなくても、

 

 

「やりたいことができない・・・」

 

 

と、思ったことがない。

 

 

「やりたいことはなんでもできる」

 

 

そう思っているから、勉強もやりたくなるんじゃないでしょうか?

 

そこに、親の学歴とか、生まれ持った能力とか、経済力とか、他人との比較とか、そう言った概念が一切ない。

 

 

 

 

 

自分の道は自分だけのものだし、その道は、どこにでも通じる道

 

ただ、

 

人の道だけは決して外れない道。

 

 

 

 

そんな道が目の前に広がっていたら、子供は放っておいても、勉強するんじゃないでしょうか。

 

 

子供は好奇心の塊です。

 

 

好奇心とは、「知りたい!」「経験したい!」と言う欲望です。

 

 

経験するためには、まず知ること。

 

知るためには、まず学ぶこと。

 

 

 

その基本がわかっているから、漫画とゲームでネットで学ぼうと思えば学べる。

 

 

 

 

まあ、私の友人は、全然トンビじゃないんですけど。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

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